岐阜県美術館で「最後の印象派」展/杉山平一詩集『希望』/クヌート・ハムスン『ヴィクトリア』

晴。昼から曇。
音楽を聴く。■ブラームスクラリネットソナタ第一番 op.120(フローラント・エオー、パトリック・ジグマノフスキー、参照)。この曲が聴きたくなった。ブラームスが晩年になって積極的に作曲しなくなってからの作品で、衰えが見られるとか云われるけれど、好きな曲である。晩年のクラリネットのための曲は、すべて好きだ。■カンナビヒ:フルート五重奏曲ホ短調 op.7-3 (カメラータ・ケルン参照)。うん、悪くない。軽やか。■■ラフマニノフ交響曲第二番 op.27 (アシュケナージ参照)。一時間近い大曲。あまくロマンティックなメロディもある力作なのだが、盛り込みすぎて散漫になるという、ラフマニノフの欠点も出ている。とにかく長いし。もう少し短いとよかった気もする。アシュケナージの生み出す音はとろけるように美しい。コンセルトヘボウ管はさすが。
2015年晩秋_115
県図書館。となりの岐阜県美術館で、「最後の印象派」展を観る。1100円。二十世紀になってからの「印象派」の画家たちが展示されていて、よく知らない画家たちばかりであったので、とても興味深く観た。もちろん画も知らないものばかり。主な画家としては、エドモン・アマン=ジャン、エルネスト・ローラン、アンリ・マルタン、アンリ・シダネル、リュシアン・シモン、アンドレ・ドーシェ、ルネ=グザヴィエ・ブリネ、エミール=ルネ・メナール等々といったところか。印象派だから、きれいなものをきれいに描くということで、こういうのも悪くない。客の入りもそんなに少なくはなかった。それから、フリッツ・タウロヴの作品が一点だけあって、「川沿いの集落」という題なのだが、川の水のうねるように流れている様子のなまなましさには驚かされた(画像)。こういうこともあるのだな。
 展覧会に関しては、ここのブログがたくさん画像を紹介しています。
 常設展は何度も観ている画が多い。ここはルドンの収集に努めていて、僕はルドンのような幻想画家は好きなので嬉しい。晩年の色彩もいいが、やはりルドンはモノクロームがいいと思う。それから、前田青邨生誕130年記念展示とかいうのをやっていたが、前田青邨はまったくわからない。どこを見ればいいのかもわからない。正直言ってつまらないです。

図書館から借りてきた、杉山平一詩集『希望』読了。著者のことはまったく知らないが、編集工房ノアの美しい本だったので借りてみた。平易な言葉で書かれた、やわらかく温かい詩集である。著者九十七歳の時の詩集らしく、本書を出したあとしばらくして亡くなられたようだ。こういう詩集がキライな人はよほどの偏屈だろう、万人向けのいいものだと思う。ちなみに、題名は東日本大震災を意識したものである。

希望―杉山平一詩集

希望―杉山平一詩集

クヌート・ハムスン『ヴィクトリア』読了。最初はメロドラマかと思ったのだが、次第に近代作家の筆に成ったことが疑えないようになっていく。あまいラブストーリーから心理劇へ。ドラマトゥルギーに余分なところはなく、構成は完成度が高い。完璧と言ってもいいだろう。それなのに、通俗的なまでにリーダブル。あり得ないような設定が、段々とリアリティを持ってくる。ラストも、登場人物たちには気の毒だが、これしかないだろう。結局ヒーローもヒロインも、ここでは幸福にはなれないのだ。
 ハムスンというのはノルウェーの作家で、ドイツのトーマス・マンらと同世代である。恥ずかしながら、自分はよく知らなかった。訳者解説を読むと、その生涯はそれが小説にできそうなくらい、色んなエピソードに満ちている。ノーベル文学賞の受賞者でもある。しかし、ナチスを積極的に肯定したところが、消すことのできない汚点になった。訳者によれば、「作家に愛される作家」ということで、彼に影響を受けた作家たちは枚挙に暇がない。モダニズム作家として分類されることもあるようで、いずれにせよ他の作品も興味がもたれる。図書館にでもないかな。
ヴィクトリア (岩波文庫)

ヴィクトリア (岩波文庫)