池澤夏樹『風神帖』

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ホルン協奏曲第二番K.417(ピップ・イーストップ、アンソニー・ハルステッド)。ナチュラル・ホルンでの演奏らしい。まあ普通。

Mozart: Horn Concertos/Quintet

Mozart: Horn Concertos/Quintet

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第二番op.18(ヴァレンティーナ・リシッツァ、マイケル・フランシス)。リシッツァはid:SHADEさんに教えてもらったピアニスト。ただ今売り出し中と思しい。若手の人気ピアニストが必ずと云っていいほど録音する、ラフマニノフの協奏曲である。まずこの曲の演奏に限っての第一印象だが、自分の好みにはちょっとあっさりしすぎ。まあ、リヒテルのDG盤を愛する自分なので。ラフマニノフのロシア音楽的土俗性みたいなのはない。クールである。指揮者のフランシスっていうのはまったく知らないが、こちらも輪をかけてあっさりしている。客観的に云うなら、ハリウッドの映画音楽のような、非常に今風のピアノ演奏。伝統とはあんまり繋がっていなくて、ちょっとシャイーの指揮を思い出したくらい。技術的にはもたつくようなところは一切なく、とても安定している。思うのだが、ラフマニノフでは第三番や第四番の方に合っているのではないか。そちらが楽しみ。それから、たぶんこのピアニストは、ベートーヴェンは苦手なのではないか。リストあたりはいいかも知れない。芸風はかなり完成されていて上手いので、あとはもっと「謎」とか「超越」が欲しいところである。他にももう少し聴いてみたい。
Piano Concertos

Piano Concertos


図書館から借りてきた、池澤夏樹『風神帖』読了。副題「エッセー集成1」。さて、どう書くか。池澤夏樹を読むと、著者の悪口が言いたくなる。でも、「ブ」で買ったり図書館から借りてきて、また読むのである。まあ「悪口」というか、本当は自分には池澤夏樹はかなりどうでもいいのである。それでも読む。さあ、どうしてだろう。
 本書を読んで、著者が己を知識人として強く規定しているのには、好感をもった。池澤夏樹を見直したくなったくらいである。責任をもった知識人というのは、確かに必要であろう。一方で、結局自分にとって彼がどうでもいい理由は、この人は堕落したことがないし、しようとしたこともないということだ。今の世の中、堕落なしでは、時代に対して、未来に対して有効なものを作ることは決してできない。もちろんそれは危険なことであり、堕落したままでその重力圏から逃れられなくなることも多いだろう。しかし、いちばん下らないことに手を突っ込むこと。これは自戒でもあるが、このことは非常にむずかしい。才能の有る人にとってすら、一生の仕事であろう。池澤夏樹は、それがやれていない。もっとも、それのできている知識人など、微々たるものであるのは事実だ。亡くなった方を挙げれば、吉本隆明さんなどは、そういう人だったと思う。氏の仕事は今では殆ど無視されているようにも見えるが、まだしっかりと読み解かれてはいないのである。
 しかし、池澤夏樹は頭がいいし、たくさん読んでいるし、よく世界を見ている。知識人にはちがいない。読むに値するとは思う。以上、一般大衆による何様的発言で、失礼しました。
風神帖―エッセー集成1 (エッセー集成 1)

風神帖―エッセー集成1 (エッセー集成 1)