吉田伸夫『素粒子論はなぜわかりにくいのか』

晴。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第二十四番op.78(アラウ)。■ブラームス:ピアノ協奏曲第一番op.15(ブッフビンダー、アーノンクール参照)。まずまず素晴らしい。ブッフビンダーはこの曲、完全に手の内にあるようで、第二番よりずっといい。とりわけ、じっくりと丁寧に弾かれた中間楽章には、感銘を受けた。アーノンクールの指揮はちょっと変だが、演奏に集中できなくなるほどではない。よかったです。■ブルッフ弦楽四重奏曲op.10(マンハイムSQ、参照)。ブルッフってヴァイオリン協奏曲しか知らないけれど、結構いい曲を書いているんだな。これは若い頃の作品らしい。充分聴ける。

図書館から借りてきた、吉田伸夫『素粒子論はなぜわかりにくいのか』読了。一般向けに、誤魔化しをできるだけ少なくして「場の量子論」を解説した本は、これが初めてではないか。量子論素粒子論について、従来当り前だった説明がいかに不適切であったか、納得して読むことができる。例えば、よく云われる「波と粒子の二重性」でも、本書では「相補性」などという言い方はせず、「素粒子の実体はであり、波が粒子のように振舞っている」とされる。実際、最近では他著でもそれに近い言い方で説明されるようになってきた。「粒子」というのは、波の「波束」なのである。このときの「波」だが、これは場の量の増減(と近所との相互作用)をいうに過ぎない。これが一番大きなちがいだと思うが、その他にも、反粒子は「空孔」ではないとか、電荷とは「場が電磁場と相互作用するときの強さを決める定数」であるとか、くりこみとは「無限大から無限大を引いて、有限の値にしたもの」ではないとか、色々新鮮な記述がある。それから、陽子・中性子の結合は「中間子の交換によって力が生じる」という言い方もよくされるが、これはファインマン図からきた誤解であり、そのような中間子は「仮想粒子」に過ぎず、実際に存在するわけではないそうである(これは当り前のことではない。仮想粒子が現実の粒子であると誤解された時代もあったらしい)。これは計算上存在すると見做されるだけであり、だいたいファインマン図自体が摂動法による計算のために使われるもので、すべてが摂動法で計算できるわけでもない。また、粒子・反粒子の対生成・対消滅も、仮想粒子として以外は、そんなに簡単に起きる現象ではないという。
 なお、本書は数式は殆ど使っていないが、物理学と数学に関するある程度の基礎知識は、ないと苦しいと思う。「標準理論」を数式なしで、誤魔化しもできるだけなしで語るというのは、そんなに簡単なことではない。しかし、一般人でも、読めれば相当に爽快であることは断言したい。意欲的な高校生とか、チャレンジしてみてはどうだろうか。

素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)

素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉)