東浩紀『存在論的、郵便的』再読/大栗博司『強い力と弱い力』

快晴。車の中が暑い。
プール。

昨日に続いて、東浩紀存在論的、郵便的』を読み返す。最後の第四章を読んだが、第三章と共に難解だった。全体として、浅田彰が云ったように、極めてブリリアントな著作だ。デリダというのは本当にややこしいのだが、ここまでクリアに語り得るというのは驚きである。でもこれは、今回そう思ったので、最初に読んだときは訳がわからなかったにちがいない。第四章はほとんど認識論になってしまっているけれど、これはもっと簡単に語り得るのではないかと思う。ハイデガーフロイトを持ってきたため、何とも面倒なことになっている。クラインの壺のモデルは浅田彰経由だが、著者の議論だと必ずしもクラインの壺を必要とせず、ホースの前と後ろをくっつけただけで間に合うような気がする。それから、「ゲーデル脱構築」というのは、本書では「郵便的脱構築」と対立させられる重要概念だが、ゲーデル不完全性定理って脱構築なの? ちがうような気がするのだが*1
 しかし、著者が途轍もなく俐いのは間違いない。アクロバティックな決め技の連続だ。できれば、「超越性」の発生のところを、もっと追求して欲しかったと思う。
 それにしても、ハイデガー全集やフロイト著作集が読みたいのだが、近くの図書館にない…

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて


大栗博司『強い力と弱い力』読了。昨年、ヒッグス粒子が発見されたというニュースが世界を駆け巡ったが、その折のマスコミの解説は、おおよそ「ヒッグス粒子=水飴」説であった。ヒッグス粒子素粒子に質量を与えるのであり、それは、素粒子ヒッグス粒子から「水飴のように」抵抗を受けて、それで質量が生まれる、というようなものである。著者はこのひどい解説を残念に思い、それで本書を執筆したのだという。実際、著者は世界的に見て一流の物理学者であり、専攻は素粒子論で、執筆にはぴったりの人物であった。
 本書は、目標としてはヒッグス粒子の説明であるが、じつはそれに留まるものではなく、実質は素粒子論の「標準模型」の本格的な解説である。とりわけ、物理学の四つの力のうち、「強い力」と「弱い力」(残りの二つは「重力」と「電磁気力」)にポイントを絞って、数式はほぼないが、誤魔化しなく本格的に論じてある。一般書としては、内容は非常に高度だと云っていい。個人的には、南部陽一郎の「対称性の自発的破れ」がいかに凄い発想であったかを、一章丸ごとをを当てて詳しく論じてあるところに、感銘を受けた。全体的に説明も上手く、またオリジナリティもあるので、こうした書物に食傷気味な人にも新鮮だと思う。素粒子理論に興味のある人なら、きっと興奮して読めるだろう。「場の量子論」は極めて難解な学問だが、身の程知らずにも挑戦したくなってくる。本当に物理は面白いのだ。
強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く (幻冬舎新書)

強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く (幻冬舎新書)

※追記 大栗先生のブログ http://planck.exblog.jp/

*1:ゲーデル脱構築」というのは、著者の解説だと、コンスタティヴな読みとパフォーマティヴな読みとをごっちゃにして、テクストを内側から破る方法だということだが、数学の定理にパフォーマティヴな読みなんてあり得るの?