ブライアン・コックス&ジェフ・フォーショー『量子 クオンタムユニバース』 / アントニオ・タブッキ『島とクジラと女をめぐる断片』

雨。


ベートーヴェン交響曲第一番 op.21 で、指揮は小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラ。ホントに美しくも楽しくもない。ただただマジメ。ふつうだったらこういうのはイデオロギー的に(?)ダメなのだが、小澤征爾のファンになってしまったのでもう遅い。小澤征爾は大曲になればなるほどその真価を発揮するな。


バッハのイタリア協奏曲 BWV971 で、ピアノはタチアナ・ニコラーエワ。たぶんいいだろうと思って聴いたらやっぱりよかった。しかしロシアのピアニストってのはどうなっているのだといつも思う。すごい奴らばかりだ。

ユジャ・ワンのピアノとベルリン・フィルの楽団員の室内楽で、ブラームスの五重奏曲 op.34 を聴き始めたのだが、我慢できなくなって聴くのを止める。濃厚さがない感じ。というか、コメントにもあるけれど演奏者たちにやる気が感じられないように聴こえてしまう。人気ピアニストってのは世界中を飛び回っているわけだが、そのすべてで本気になって演奏するのは無理である。



メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」(1941)で、ヴァイオリンはアンティエ・ヴァイトハース、チェロはソル・ガベッタクラリネットはザビーネ・マイヤー、ピアノはベルトラン・シャマユ。入魂の演奏。自分はメシアンが好きとまではいえるかわからないのだが、二〇世紀音楽の高峰のひとつであることを疑ったことはない。それにしても何という曲であるか。この曲は周知の如く第二次世界大戦のときに収容所で書かれ、初演されたものであり、その特異な表題からして特別な印象を与えられることは仕方がない。深くキリスト教的であり、ヨハネの黙示録と密接な関係がある。しかしそれを措いても、人類が死に絶えたあとの世界に流れている音楽があるとすれば、このようなものであるかと思われることは、以前にも記したことがある。50分近い複雑な大曲であり、聴き通すのに集中力が必要である。そして、その甲斐はきっとあるであろう。先にも記したがまさしく魂のこもった演奏であり、レヴェルも最高度で是非 CD 化を望みたいほどだ。音楽の力を思い知らされる体験だった。


フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」op.18 で、オルガンはヴィンセント・デュボア。これも自分にとっては特別な曲のひとつ。自分にとってフランクは最晩年の曲の作曲家というだけでは決してない。

ツイッターを見ていると(って話ばかりですみませんね)今回の騒動でものしり君たちが沈黙を余儀なくされてまことに爽快で、これってシャーデンフロイデだなと思う。ひとの不幸は蜜の味、ってやつ。まったく最低の人間で、凡夫ということすらおこがましいので、ツイッター云々もあまり見ないようにしている。それにしても、ああいう人たちが自分にはこんなにストレスだったのだなと痛感する。まったく修行が足りないもいいところだ。

いずれにせよ、今回の騒動で日本人が分断されてしまった。我々はあとでこのツケをたっぷりと払わされることになろう。


図書館から借りてきた、ブライアン・コックス&ジェフ・フォーショー『量子 クオンタムユニバース』読了。一般向けの量子力学解説書。どうしていまさらこんな本が翻訳されたのか知らないが、まあまあおもしろかった。複素数を表現するのに「時計」みたいなものを使っているのがちょっとした工夫だと思った。「針」の長さが絶対値で、「針」の角度が位相ということである。波動関数複素数だというのは、つまりは定義域が二次元ということで、「波動」といっても正弦波のようなものを思い浮かべてはいけないということである。二次元波って、GIF 画像で表現できるのではないかとちょっと思った。そのうち Ruby か何かで作ってみたいと思う。まあそれはいいので、あとはそれほど新味のある本ではない。いや、エラそうなことを書いているけれど、本書に関していえば、自分には「反粒子」が時間を遡行しているというのが昔からよくわかっていない。もう少し正確にいうと、「反粒子」は時間を遡行していると解釈しないと、却って因果律を破ってしまうのであるが、その意味がよくわからないのである。これは相対論的量子力学の要請によるもので、自分は頭が悪いので場の量子論がよくわかっていない。このあたりはそのうちきちんとやりたいのだが。

クオンタムユニバース 量子

クオンタムユニバース 量子

 

アントニオ・タブッキ『島とクジラと女をめぐる断片』読了。須賀敦子訳。

島とクジラと女をめぐる断片 (河出文庫)

島とクジラと女をめぐる断片 (河出文庫)

 

南嶌宏を読む。あと150ページくらい。どう捉えようか迷っている。基本的に優れた書き手だと思うのだが、不満のようなものもある。いずれにせよ、なかなか読み終わらない、手ごわい本だ。(PM10:51)


 

けものフレンズ第8話を観る。
 

池内先生は西部邁氏に侮られた過去があるそうだ。大人気ないツイートで、まあ気持ちはわかるが子供みたいな幼稚さである。池内先生は東大卒の若くて優秀な学者で、いまや(?)そういう人物が人格的にどうしようもなく幼稚であるというサンプルとしてツイートを埋め込ませて頂いた。他意はない。なお、先生はドイツ文学者の池内紀氏の御子息で、父親についてもかなり辛辣なことを書いておられたのを読んだことがある。どうでもいいか、そんなこと。


このところ、このブログやプログラミング関係の別のブログにスパムコメントがひどい。英文その他なので外国からのスパムらしいが、毎回 IPアドレスを替えてくるのでコメント拒否ユーザーにもできない。あまり煩わしかったらしばらくコメント欄を閉じるかも知れない。しかし、こんなので騙される奴がいるのか? 下らないことに精力を費やして御苦労なことである。

特に興味がなかったので調べていないが、IPアドレスの偽装って簡単なのか? プロキシを使ったりするのはわかるが、これはどうなのか知らん。いずれにせよ、はてなのフォームを使っているのだから日本語環境にアクセスしてきているのは意図的なのだろうが、コメント主の名前とか IPアドレスを自動生成してもどれもこれも同一人物によるというのが明白だから、バカな奴である。でも、ネットリテラシーのない人は騙されるのかも知れない。下らないことをする奴らだ。

ついでなので調べてみたら、IPアドレスの偽装は超簡単なことが判明。はー、しょうもないなあ。そのうちお勉強にやってみるかなあ。