玄侑宗久『現代語訳 般若心経』

晴。
 
スーパー。
 
ごろごろ。
 
昼から図書館。現代詩文庫の『続・伊藤比呂美詩集』と、バルガス=リョサの『ケルト人の夢』を借りてくる。バルガス=リョサは500ページ以上のぶ厚い本なので、途中まで読んで返却の予感。
帰りにイオンタウンに寄る。




 
玄侑宗久『現代語訳 般若心経』読了。おそらく再読。現代最高の般若心経の翻訳かも知れないな。おっかなくて感想など書けない。

願わくば本書が極めて少数の心ある方々に届きますように。そうした方々にすら、本書の価値は計り知れないものであろう。
 
夜。
細野晴臣『Heavenly Music』を聴く。坂本さんと細野さんのラジオトークYou Tube で聴いていて、このアルバムが聴きたくなった。
Heavenly Music

Heavenly Music

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橋本愛喜『トラックドライバーにも言わせて』

晴。
 
午前中、ぼーっと過ごす。
 
肉屋と米屋へ行くも、両方ともまだ正月休みだった。
マックスバリュでトマトジュースを買う。
 
 
図書館から借りてきた、橋本愛喜『トラックドライバーにも言わせて』一気に読了。著者はわたしの観たあるテレビ番組のコメンテーターだった方。わたしが普段あまり読まないようなタイプの本であるが、じつにおもしろかった。中身がありすぎてわたしの要約能力を超えるけれど、簡単にいうと元トラックドライバーだった著者が、その仕事に関して啓蒙するという本である。例えば、トラックなど大型車のドライバーは運転マナーや態度が悪いようなイメージが一般にあるかも知れないが、その裏にある理由など。また、ちょっとむずかしい言い方をしてしまえば、日本の運送業界における構造的な問題。トラックドライバーの激務。こういうことは、それらに詳しくない人がふつうに暮らしているだけでは、わからないのだ。物流が止まってしまえば、産業も止まってしまうし、我々の多くは一日だってまともに暮らしていけないであろう、それほど物流というのは大切であるにもかかわらず。
 わたしはひとつの疑問を覚えるのであるが、運送業界はいまたいへんな人手不足で、トラックドライバーの数は全然足りていないにもかかわらず、いわゆる「需要と供給の関係」の市場メカニズムが働かず、給料が高くなり多くの人がトラックドライバーになって人手不足を解消するという方向にいかない。その最大の原因がいわゆる「規制緩和」であり、これもまた市場メカニズムに頼って国が導入したものであるが、それが問題を招いている。ある種のサービス業その他でも、似たようなことが起きているがゆえに、「外国人留学生」という名の体のいい低賃金労働者に頼ることになっている。いわゆる「3K」労働は、これまで誰でもできるものだと見做されてきたが、現実に必ずなくてはならず、実際にはほとんどの人に不可能であるのだから(少なくともわたしにはムリだ)、高賃金化されるのが当然ではないか。スキルから見ても、本書のトラックドライバーの必要とされるスキルはレヴェルが低いどころか、かなりの高スキル職であるように、本書を読むと思えてくる。
 あまり上手く紹介できなかったけれど、もっと注目されてしかるべき本だと思う。

 
 
夜。
『葬送のフリーレン』第2巻まで読む。
 
You Tube で「とある魔術の禁書目録」動画を観る。「レールガン」の方は全然好きになれなかったのだが。

『大江健三郎 柄谷行人 全対話』

早朝雨、のち晴。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのピアノ協奏曲ヘ短調 BWV1056、ト短調 BWV1058 で、ピアノと指揮はダヴィド・フレイブレーメン・ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。■バッハのパルティータ第二番 BWV826 で、ピアノはダヴィド・フレイNML)。

 
いい天気。空が青い。
昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルフレンチブレンドコーヒー429円。『コレクション瀧口修造5』を読み始める。
 
 
図書館から借りてきた、『大江健三郎 柄谷行人 全対話』読了。おもしろかったし、いろいろ考えさせられた。わたしはまさに本書のような本を長年読んできたのだが、いま読んでみるとほとんど何の共感も覚えないのである。こういう論じ方、こういう語たちの意味が、ホワイトノイズ化してしまって、シニフィエが消滅してしまっているというか。対談の時期はどれもバブルの崩壊期、平成の初めだ。ここで文学や哲学は滅びたといわれているが、そういう意味での文学や哲学は、確かに完膚なきまでに滅びた。「夢も希望もない」と、いわれているが、それもそのとおりになった。そして日本は、マンガとアニメの国になったのである。全面的なエンタメ化…。
 それにしても、大江健三郎柄谷行人も、まだ存命であるが、日本でその存在感はほぼゼロになっている。とにかく、濁流のような言葉の洪水に、何もかも一緒くたにして押し流されてしまった。何せ、文系の学問の基礎が認知科学になろうという時代である。思想なんて、とてもとても…。何か既視感があると思ったら、本書は 2018.9.20 に既に読んでいるのだな。ほぼ同じ感想を書いている笑。
 
わたしがやろうとしているのは、すべてを解体して生き残るものを探るということだ。でも、そういうことができるのか、そしてそれが意味あることなのかはまったくわからない。
 
夜。
岩波文庫の『大江健三郎自選短篇』を読み始める。

「呪いの時代」

曇。
 
スーパー。
このところセキレイをよく見かけるな。
 
ごろごろ。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。お客さんでいっぱいだったな。川端康雄『葉蘭をめぐる冒険』を読み始める。静かなよい本だな。外国文学者の文章をもっと読んでみたくなる。川端さんのオーウェル関係の仕事には昨年随分とお世話になった。

 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十一番 op.53 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。クッソ野蛮なベートーヴェン。すばらしい。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はドーヴァー四重奏団(NML)。 
 
夜。
『呪術廻戦』を読み始める。すごくおもしろい。
よしなしごとを書こうか。現在を「呪いの時代」といったのは内田樹の名言であり、特にネットは呪いの言葉に満ちていて、当の内田先生すらそれから自由でないように見える。例えば自己顕示欲はもっともありふれた「呪い」だが、相当に心というものを知った人間ですら、なかなかこれから自由であることはむつかしい。理性の底に「呪い」があるのはふつうのことだし、「呪い」を自分自身に向けてしまう人もある。また、自分に向けられる「呪い」に耐性のある人でも、自分の愛する対象に向けられた「呪い」には我慢できないことも多い。さらには、もっと高いレヴェルの人こそ陥ってしまう「呪い」。現代には、「呪い」を解体する術(すべ)を教えてくれる人は非常に少ないのだ。
 
『呪術廻戦』第9巻まで読む。いまだ所詮マンガでエンタメなんだけれど、そういうことを思わせてくれるくらい、レヴェルが高い。一皮剥けて、『犬夜叉』のレヴェルに到達できるかな。

妹一家来訪

日曜日。晴。
寝坊した上に、脳内お花畑な夢を見る。あー、楽しい夢だった。
 
昼前、妹一家来訪。昨年はコロナ禍がひどくて来れなかったので、二年ぶりか。
昼食ののち、皆んなで近くの大きな神社まで歩く。
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これは神社の龍の彫刻。
妹がウチの裏山に登りたいというので、妹一家と。妹はしきりに懐かしがっていた。夕食の時間まで、老父と甥っ子たちは花札で盛り上がったみたいだ。夕食は皆んなで楽しく話しながら飲んで食べる。皆んなで大笑い、楽しかった。
 甥っ子たちも大人になってきて、あとどれくらいこんな時間をもてるかな。若い人たちってのはいいものだ。

伊藤比呂美『読み解き「般若心経」』

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

元日。晴。
夏に隣の川(現実のではない)に入る夢を見る。水は深く青く、清冽で変化に富んだ流れで、じつに爽快な体験だった。
昨晩はゲーテの『イタリア紀行』を読んで寝た。
 
昼はこの地方独特の、日本一シンプルな雑煮を食う。中には餅と正月菜しか入っていない。
 
 
身を切るような寒さの中、散歩。正月から代わり映えのしない写真ですな。

村のお宮さん。初詣を致しました。


カルガモ




半分取り壊された古い橋。


モズのお尻。

熟していない柘榴(ザクロ)の実。

ハクセキレイ
寒いけれど、わたしは冬が好きですね。目が覚めるような感じがする。まあ、雪国の人なら、そんな呑気なことはいってられないでしょうけれども。
 
 
図書館から借りてきた、伊藤比呂美『読み解き「般若心経」』読了。洟をぶうぶう鳴らしながら読んだ。

  「無常偈」
常なるものは何もありません
生きて滅びるさだめであります
生きぬいて、滅びはて
生きるも滅ぶもないところに
わたくしはおちつきます

 
 
夜。
宇宙よりも遠い場所』第6話まで観る。ED、結構いいな。
 
深夜まで『ゼロの使い魔』3期を見返す。

こともなし

朝から雪。

スーパー。商売繁盛。
手が悴む寒さ。雪が一転、抜けるような青空に。

昼食は乾麺の出石そばを茹でて食った。

昼寝。
エアコンの利きが悪いようなので、フィルターを掃除する。

何となくインスタントコーヒーを飲みながらひたすらぼーっとしていて、年末は静かでいいなあとか思っている。

伊藤比呂美さんの『読み解き「般若心経」』を読み始める。表紙に「エッセイ+お経+現代語訳」とあるとおり。取り上げられているのは、別に般若心経だけではない。目頭を押さえながら、鼻をぐずぐずいわせながら読んでいる。まさに諸行は無常。

夜。
NML でマーラーの「大地の歌」を聴く。メゾ・ソプラノはジャネット・ベイカー、テノールはジェイムズ・キング、指揮はベルナルト・ハイティンクロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NML)。先ほど読んでいた伊藤比呂美さんが、「大地の歌」の第六楽章「告別」の一部を、訳しておられたので。

 
皆さん、よいお年を。