Linux Mint を 19 にアップグレード

日曜日。晴。
 
20181007133946
Linux Mint を 18.3 から 19 へアップグレードする。今回はアップデートマネージャから簡単にアップグレードとはいかなかった。多少面倒な手順が要ったので、こちらにまとめておいた。いや、ディスプレイマネージャが替わったせいか、すごく鮮やかになったのですけれど。

老母の Linux Mint も 19 にアップグレードする。既に自分ので経験済だったので、不具合も簡単に乗り切れた。

と思ったら自分の Mint 19 のサスペンド復帰のトラブルが再発。ブート関連をいじったりして苦労したが、結局カーネルのバージョンが悪いということに。古いカーネルに戻す。そんなことで時間を費やしてしまった。

梶谷懐『中国経済講義』

雨。
夕方までごろごろぼーっとしていた。ちょっと頭を休めるかな。

食事とブラタモリ以外はずっとごろごろ。
ちょっと下らないことをする。


梶谷懐『中国経済講義』読了。おもしろかった。といっても自分は無職のおっさんであり、本書の知見がビジネスに活かせるというわけではない。経済にも特に詳しくない。なので、本書の中身については書く資格がない。より適切な人物が本書を紹介することは確実であるから、詳しくはそのような書評に就かれたい。
 どうでもいいことを書くと、著者はわたしより少し年少で、ネットで時にその姿を見かけるが、以前からネット上でのその節度ある態度に多少の好感をもってきた。いまでは優秀な(文系の)学者がネットで数多く活躍しているが、多かれ少なかれ彼らは何でああもエラそうなのかなと不思議に思う。まあどうでもいい話であるが。中国経済についてはネットで信用されているような書き手がかなり乱暴なことを言っていて、本書は専門家の立場からそのような議論を密かにたしなめているところがあるように思える。
 素人の遠望にすぎないが、現代中国は独裁制ともいえる権力構造に共産党支配+市場経済という、何だかデタラメなように見えてしまう制度なのだけれど、それでいて近年よくもこううまく経済を発展させてきたものだと、まったく不思議な感じがする。本書を読んでその理由が多少わかってきた気もするが、それにしても不確定要因が多い。本書に指摘されているが、中国経済の成功者たちがこれから社会的なシンボルになった時点で、時の権力者がホントどうふるまうか、まったく未知数であろう。それに、これからますます重要になるネットの世界で、中国全体をファイアウォールで囲んでしまうようなシステムが、これからどうなるのであろうか。まあ、わたしなんぞにはどうでもよいといえばどうでもよいことなのであるけれども。

市田良彦『ルイ・アルチュセール』

曇。
起きて睡眠の後始末が大変。

夕方、カルコス。まずは「群像」の中沢さんの連載を立ち読みで再読。新書コーナーではめずらしく浅田さんが新書のオビに推薦文を書いていたので、それと、あとは梶谷先生の中公新書を購入する。岩波文庫にはカルヴィーノの新刊あり。カルヴィーノはこれまでかなりが文庫化されたが、文庫新刊はひさしぶりな気がする。かつての文庫本(岩波文庫河出文庫が多かったように覚えている)はどれくらい生き残っているのだろうか。
沖縄関連本などまだ買いたい本があった。次回行ったときに検討しよう。

何となく何か飲みたかったので、コンビニに寄って伊藤園のオレンジジュースを買う。


市田良彦ルイ・アルチュセール』読了。副題「行方不明者の哲学」。このところ、絶対にわからないと思うがフーコーを読み直してみたいと何となく思っていた。本書は背中を押してくれたかも知れない。無意味な行為でも、いいではないか。本書も、一行たりとも理解できなった。最近ではいちばん愉快な読書だったのは確かである。

 
NML で音楽を聴く。■ショパンのピアノ・ソナタ第三番 op.58 で、ピアノは阪田知樹(NML)。これは見事。阪田知樹は2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクールで優勝しているそうで、若いが既によく知られたピアニストらしい。すごい才能を感じる。研鑽を積んだら、世界的ピアニストになれるかも知れない。
スペイン狂詩曲~阪田知樹デビュー!

スペイン狂詩曲~阪田知樹デビュー!

■ニールセンのヴァイオリン協奏曲 op.33 で、ヴァイオリンはリーヤ・ペトロヴァ、指揮はクリスティーナ・ポスカ、オーデンセ交響楽団NMLCD)。

こともなし

曇。
よく寝た。すごく楽しい夢を見た。梁山泊。錚錚たるメンバーと過ごして、外国語で本質的な議論をしたり、とても楽しかった。でも、何でこんな夢を見たのかな。

NML で音楽を聴く。■ショパンの二十四の前奏曲 op.28 で、ピアノは中桐望(NML)。レヴェルの高いよい演奏。楽しんだ。

ショパン:24の前奏曲、ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲、リラの花

ショパン:24の前奏曲、ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲、リラの花

■サティの三つのジムノペディで、ピアノはファジル・サイNMLCD)。


雨。図書館。
コメダ珈琲店各務原那加住吉店。カツパンとシロノワールを食ったが、ひさしぶりのシロノワール、うまかった。あつあつのパンにソフトクリームって、よく考えたなあ。カツパンもジューシーでうまい。
スーパー。

ベートーヴェンの創作主題による三十二の変奏曲ハ短調 WoO.80 で、ピアノは園田高弘NML)。あまり元気がないので曲に力をもらった。ベートーヴェンがいかにクソマジメバカでも、わたしには欠かせない。園田さん、あなたのベートーヴェンはわたしに届きましたよと伝えたい。正攻法のまっすぐなベートーヴェンではないかね?

ベートーヴェンの創作主題による十五の変奏曲とフーガ変ホ長調 op.35 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。いわゆる「エロイカ変奏曲」。園田高弘によるベートーヴェンへの掘削力を実感できる演奏。何故園田が自主レーベルを立ち上げまでしてベートーヴェンを録音したか、よくわかる。わたしは園田が世界中で聴かれる日が来るとは思わないし、日本においてすらさてどうかと思うが、それは演奏の価値には関係のないことである。我々はこのようなピアニストをもったことを誇っていい気がする。ってまあ、こんなところで吠えていても意味ないことはわかっているのだが。■リストのピアノ・ソナタ ロ短調で、ピアノはセルゲイ・エデルマン(NMLCD)。スケールの大きさ、迫力、音の美しさ等、すべて揃った見事な演奏であるが、どういうわけか心が動かなかった。理想的な演奏でも感動しないことがあるというのが、音楽を聴くむずかしさであろう。アマゾンのレヴューでは高い評価を付けている人が多かった筈である。わたしにはダメだったが、皆さんは是非聴いてみて欲しい。


■トイヴォ・クーラの六つのピアノ小品 op.26 で、ピアノは Adam Johnson(NMLCD)。トイヴォ・クーラはさほどの作曲家ではないように思われるが、それでもこうした小さい曲たちを聴いていると、大作曲家ばかり贔屓していられない気分になる。大したことなくても、作曲家が心を込めて書いたのが伝わってくるようだ。そんなに気のせいでもないと思う。■トイヴォ・クーラの「羊飼いのポルカ」、フィンランド民謡による変奏曲ホ短調スコットランド舞曲、「流れは舟を運ぶ」op.4-5b、「舟歌」op.21-2b、「古い秋の歌」op.24-3b、インヴェンション ホ短調で、ピアノは Adam Johnson(NMLCD)。なじんでくると、つまらぬか何なのかわからなくなってくるな。それはともかく、中沢さんのいうところの「つつましい音楽」だと思う。■プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第一番 op.19 で、ヴァイオリンはリーヤ・ペトロヴァ、指揮はクリスティーナ・ポスカ、オーデンセ交響楽団NML)。独奏者も指揮者もオーケストラも知らないという(笑)。でもなかなかいいじゃん。ペトロヴァさんは 2014年に来日している模様。オーデンセ交響楽団というのは、デンマークのオーデンセという町(?)にあるオーケストラらしい。オーデンセかあ、知らないなあ。

Sergel Prokofiev: Violin Concerto No. 1 / Carl Nielsen: Violin Concerto

Sergel Prokofiev: Violin Concerto No. 1 / Carl Nielsen: Violin Concerto

プーランク即興曲集(抜粋)で、ピアノはパスカル・ロジェNMLCD)。


さて、下らぬことを書くか。キズナアイ(笑)とか叩いている○○どもには本当に呆れるけれど、ああいう人たちにはカワイイ娘に対するコンプレックスがあるのだな。さてもそうでしょう(笑)まあ、自分の人生にはたぶん関係のない人たち。で、そういう○○を叩く正義の味方たちもまいどツイッターにどっと湧いて出てきて、ご苦労様ですな。自分はキズナアイちゃんはどうでもよろしい。そりゃかわいいけれどね^^ 何でも女性のイラストレーターの方が描いたキャラということだそうで。いずれにせよ、ツイッターは今日も平和だ。

僕は最近、ツイッター全然むかつかなくなった。皆んないろいろあるのだなあと思うだけ。そんなにおもしろくもないし、ひまつぶしにダラダラ読んでいる。まあ、ためになる「情報」とかもあるけれど、何のためになることやら。本当は、真剣にむかつくくらいのことがあった方がよい気もするのだが、ツイッターはそれほどでもないようだ。はてブもどうでもいい。どういうコメントが付いているのかだいぶ予想できるようになってきた。下らぬことでも上達するなあ。

正義の味方もいいんですけどね、あれになるのは簡単なんですよ。特に考えなくても、勉強しなくてもなれる。勉強してもなれるけど。で、一度やったらやめられないんです。正義にはそういう快感があるんですね。そして、必ず自分が正しいと思うようになります。程度はあるけれど、それは麻薬なんで、いままでそれでおかしくならなかった人は自分はひとりも知りません。結果的に、硬直化し、視野が狭窄します。若くても「老害」と同じになります。こうならないには、「悟り」でも開いていないと無理でしょう(笑)

でも、矛盾したことを言いますが、正義が絶対にダメってこともないのですね。「絶対」なんてことは、絶対にないんです(笑)

定期的に下らぬこと書きますね。バカだから。


しかし、ツイッターで唯一むかつくことがあるとすれば、それはこの荒涼たる風景だろうな。寒々として、魂を心底凍らせる。これはむかつくというよりは、絶望に近いが。どこまでも続く無明の闇。正直言って、どこに希望があるのだ? 別に自分を特別視するわけではない、ただ、残されたさほど長くもないであろう時間で、貧しい自分にやれるだけのことをやるだけだが、それもいつまで気力が続くものか。ツイッターに限ったことではもちろんないけれども。

『イーヴリン・ウォー 傑作短篇集』

晴。
早起きしたのだけれど何故か二度寝

アルゴリズム・パズルを考えていて、Ruby で 2の23乗回のループかあ、ちょっと限界だな。brute force 以外でどうやるのだろうとワクワクしながら模範解答を見たら、ただの brute force だった orz...
もう一問は感心した。自分の方法でも解けたが、時間が 8分くらいかかっていたのに、模範解答だとちょっとしたひねりがあって、1.5秒くらいで解けた。うーん、ちょっとした工夫なのだが、思いつかなかったなあ。


ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。イーヴリン・ウォーの短篇集を読む。ウォーは笑わせてくれるらしいので読んでみたが、何というか。本書惹句に「ブラックな笑いが冴えわたる」とあるが、とにかく何というか、著者のいじわるな視線がちょっとおもしろいくらいじゃないだろうか。さてもなんつーか、その「ブラックな笑い」とやらは、つまりは間抜けな人間の間抜けぶりをあざ笑うというようなもので、どうも自分はあんまり笑えないんですけれど。まあ、マヌケをあざ笑う楽しさというのはわからぬでもないが、しかしまあいいか。これが文学というものらしい。こういうのがお好きな人はどうぞ。

いや、ウォーにはやかましいフードコートで読んでいた以上のものが確かにあるな。じつに下らないが、もう少し繊細だ。ウォーにはまた、蟻を閉じ込めたガラス瓶に少しづつ水を注いでいくような残忍さがある。そして、我々はそれを見て喜び、悲しむのだ。で、傑作とかのたまうという。

図書館から借りてきた、『イーヴリン・ウォー 傑作短篇集』読了。なるほど、おもしろかった。あまりひねくれたことをいうのは止めよう(ウォーに感化された気がする)。ウォーは大作家ということである。しかし、自分にはどことなく反発したい気持ちがあるのだなあ。それは何だろう。この人の、「人生なんてこんなものさ」的な態度が、たぶん気に入らないのだ。反発を感じる。わたしの器の小さいことである。しかし人生には真相があって、それはそれを必死に生きている人間にはわからないというのは、どういうものであろうか。例えばであるが、やれやれくたばったか、こいつは自分の滑稽さに気づかずに死んだぜ、というのは、大作家の態度であろうか。我々はみな滑稽かも知れないが、そんなことどうだっていいのではないだろうかと、自分には思われる。まあ、ウォーの掌から出ていないことでもあろうが。さても、文学って厄介だな。

でもまあ、ネットを見ていると、ウォー的な態度はむしろふつうであるか。それにマジレスするこちらが滑稽ということかも知れない。ウォーのイギリス的ユーモア(?)という、「大人の態度」で接するべきなのか。まだまだ未熟だな、わたしは。

上に何となく書いたのけれど、ウォーが残忍だというのは意外と当っている感じがするのだが、どうでしょう。

ウェルギリウス『アエネーイス』

晴。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンの創作主題による六つの変奏曲 op.34 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。

昼寝。
部屋の掃除。

■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番 BWV1004 で、ヴァイオリンはゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(NMLCD)。この曲というとどうしてもシャコンヌということになるが、最初こそ多少軽量かなと思ったものの、見事な演奏でした。演奏者の生き方みたいなものまで表れてしまう曲であるが、ここまで弾ければ大したものだと思います。感動しながら聴きました。澄んだ音の美しさといい、古楽ヴァイオリン特有の和音の豊かさも印象的だった。


図書館から借りてきた、ウェルギリウスアエネーイス』読了。岡道男・高橋宏幸訳。読んでいる最中は感想を書くつもりだったけれど、訳者解説を読んで自分の読みがいかにも浅いことに気づいたので止めておく。だいぶ昔に岩波文庫版を読んだ筈だが、まったく覚えていなかった。こんな話だったのか。幼稚な感想をひとつだけ書いておくと、この『アエネーイス』はホメロスの『イーリアス』『オデュッセイアー』を念頭に置いているのはもちろんであるが、ホメロスに比べて主人公のアエネーアスの人物像がいまひとつ鮮明でないような気がする。今風にいうと、アエネーアスの「キャラが立っていない」のである。『イーリアス』でのアキレウスの怒りにせよ、『オデュッセイアー』でのオデュッセウスの知謀にせよ、そのイメージが彷彿としてくるのに対し、アエネーアスは英雄というだけで、個性があまり感じられないように思われる。それに、カルタゴがいかに現実のローマの敵だったにせよ、いちど男女の契りを交わしたカルタゴ女王を、神々の下らない干渉によって裏切って平然としているのは、あまり気持ちのよいものではなかった。ホメロスにも盛んに神々の干渉はあるが、『アエネーイス』における神々の干渉は正直言ってウザい感じである。
 ああ、ついつまらぬことを書いてしまった。もとより詩を翻訳で読むというものがどうかという話もあるが、そんなことを言ったらわたしなどは外国文学に触れることができなくなってしまう。かつての訳はかなり読みにくい印象であったが(自分の能力不足の可能性あり)、本書はそんなことはなかった。

アエネーイス (西洋古典叢書)

アエネーイス (西洋古典叢書)

なお、自分は特にメモも取らずに読んだが、正確に読もうとすればそれでは無理である。本文では人物の説明などはとても少ないので、これ誰だっけということになる。まあ、そんないい加減な読書でした。


■トイヴォ・クーラの「祝典行進曲」op.13b で、ピアノは Adam Johnson(NMLCD)。■ブラームスの四つのピアノ曲 op.119 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。グールドの「間奏曲集」のディスクが好きな人は、このコヴァセヴィチも聴くといいよ。アプローチは全然ちがうけれど、どっちもカッコいいから。■ブラームスの二つの歌 op.91 で、メゾ・ソプラノはアン・マレイ、ヴィオラ今井信子、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。■バッハのフランス組曲第六番 BWV817、第二番 BWV813 で、ピアノは岡田美和(NMLCD)。ひどい言い方かも知れないけれども(お許しを)、これで充分なのだよね。これ以上いらない。フランス組曲ってまさにこういう曲。■ドビュッシーの「映像」第一集で、ピアノは岡田美和(NML)。いや、これ、悪くないですよ。日本人ピアニストの美質がよく出ている。

岡田 美和 レ・パルファン

岡田 美和 レ・パルファン

こともなし

まさに台風一過。晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第二番 BWV1003 で、ヴァイオリンはゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(NMLCD)。■ノーノの「死の間近な時(ポーランド日記第2番)」で、指揮はマンフレート・シュライアー、ノイエ・ヴォーカルゾリステン・シュトゥットガルト他(NMLCD)。


昼から県営プール。爽快な天気。長良川は昨日の台風による雨で濁っていたが。週に一度泳ぐくらいでは何ということはないのだが、筋肉に火を入れてあとは機械に油でも挿すような、体のメンテナンスみたいなものだ。それに、泳ぎながら考えるとも何ともつかない感じがいい。運転もそんなものだ。そして、面倒なことはやはりしないといけないしね。

■トイヴォ・クーラ(1883-1918)の「三つの不思議な絵」op.19 で、ピアノは Adam Johnson(NML)。クーラという作曲家は初めて聴く。聴いていて東欧っぽいなと感じていたが、Wikipedia を見るとフィンランドの人で、シベリウスの薫陶を受けているという。どうも、トラブルに巻き込まれて早死したらしい。それほどの独創性はないかも知れないが、わたしには悪くない音楽である。

Kuula: Complete Works for Solo Piano

Kuula: Complete Works for Solo Piano

■トイヴォ・クーラの三つの小品 op.3b で、ピアノは Adam Johnson(NML)。悪くない。■サティの「グノシエンヌ」第一番〜第六番で、ピアノはファジル・サイNMLCD)。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十五番 op.28 で、ピアノは園田高弘NML)。まさしくこれぞベートーヴェンではないかね? すばらしい。

ブラームスの七つの幻想曲 op.116 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ(NMLCD)。コヴァセヴィチのブラームス、ほんとにカッコいいな。■ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはスティーヴン・コヴァセヴィチ、指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュロンドン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。すごい名演。疲れました。この曲はブラームスの青春がいっぱいに詰まった曲で、自分の感傷を誘って危険である。コヴァセヴィチのブラームスはほんとカッコいい。こんな深さをもっているピアニストは稀である。これはポリーニの最初の録音と共に、この曲のもっとも男性的な演奏であるといえると思う。また、サヴァリッシュのサポートが鬼気迫るほどで、サヴァリッシュという人はこんな演奏もできるのだと驚いた。どうやらライブ録音ではないようだけれども、熱い熱い演奏である。正直ちょっと泣けました。
Piano Concertos

Piano Concertos

 
アエネーイス』を読む。