『イーヴリン・ウォー 傑作短篇集』

晴。
早起きしたのだけれど何故か二度寝

アルゴリズム・パズルを考えていて、Ruby で 2の23乗回のループかあ、ちょっと限界だな。brute force 以外でどうやるのだろうとワクワクしながら模範解答を見たら、ただの brute force だった orz...
もう一問は感心した。自分の方法でも解けたが、時間が 8分くらいかかっていたのに、模範解答だとちょっとしたひねりがあって、1.5秒くらいで解けた。うーん、ちょっとした工夫なのだが、思いつかなかったなあ。


ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。イーヴリン・ウォーの短篇集を読む。ウォーは笑わせてくれるらしいので読んでみたが、何というか。本書惹句に「ブラックな笑いが冴えわたる」とあるが、とにかく何というか、著者のいじわるな視線がちょっとおもしろいくらいじゃないだろうか。さてもなんつーか、その「ブラックな笑い」とやらは、つまりは間抜けな人間の間抜けぶりをあざ笑うというようなもので、どうも自分はあんまり笑えないんですけれど。まあ、マヌケをあざ笑う楽しさというのはわからぬでもないが、しかしまあいいか。これが文学というものらしい。こういうのがお好きな人はどうぞ。

いや、ウォーにはやかましいフードコートで読んでいた以上のものが確かにあるな。じつに下らないが、もう少し繊細だ。ウォーにはまた、蟻を閉じ込めたガラス瓶に少しづつ水を注いでいくような残忍さがある。そして、我々はそれを見て喜び、悲しむのだ。で、傑作とかのたまうという。

図書館から借りてきた、『イーヴリン・ウォー 傑作短篇集』読了。なるほど、おもしろかった。あまりひねくれたことをいうのは止めよう(ウォーに感化された気がする)。ウォーは大作家ということである。しかし、自分にはどことなく反発したい気持ちがあるのだなあ。それは何だろう。この人の、「人生なんてこんなものさ」的な態度が、たぶん気に入らないのだ。反発を感じる。わたしの器の小さいことである。しかし人生には真相があって、それはそれを必死に生きている人間にはわからないというのは、どういうものであろうか。例えばであるが、やれやれくたばったか、こいつは自分の滑稽さに気づかずに死んだぜ、というのは、大作家の態度であろうか。我々はみな滑稽かも知れないが、そんなことどうだっていいのではないだろうかと、自分には思われる。まあ、ウォーの掌から出ていないことでもあろうが。さても、文学って厄介だな。

でもまあ、ネットを見ていると、ウォー的な態度はむしろふつうであるか。それにマジレスするこちらが滑稽ということかも知れない。ウォーのイギリス的ユーモア(?)という、「大人の態度」で接するべきなのか。まだまだ未熟だな、わたしは。

上に何となく書いたのけれど、ウォーが残忍だというのは意外と当っている感じがするのだが、どうでしょう。