こともなし

曇。
よく寝た。すごく楽しい夢を見た。梁山泊。錚錚たるメンバーと過ごして、外国語で本質的な議論をしたり、とても楽しかった。でも、何でこんな夢を見たのかな。

NML で音楽を聴く。■ショパンの二十四の前奏曲 op.28 で、ピアノは中桐望(NML)。レヴェルの高いよい演奏。楽しんだ。

ショパン:24の前奏曲、ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲、リラの花

ショパン:24の前奏曲、ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲、リラの花

■サティの三つのジムノペディで、ピアノはファジル・サイNMLCD)。


雨。図書館。
コメダ珈琲店各務原那加住吉店。カツパンとシロノワールを食ったが、ひさしぶりのシロノワール、うまかった。あつあつのパンにソフトクリームって、よく考えたなあ。カツパンもジューシーでうまい。
スーパー。

ベートーヴェンの創作主題による三十二の変奏曲ハ短調 WoO.80 で、ピアノは園田高弘NML)。あまり元気がないので曲に力をもらった。ベートーヴェンがいかにクソマジメバカでも、わたしには欠かせない。園田さん、あなたのベートーヴェンはわたしに届きましたよと伝えたい。正攻法のまっすぐなベートーヴェンではないかね?

ベートーヴェンの創作主題による十五の変奏曲とフーガ変ホ長調 op.35 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。いわゆる「エロイカ変奏曲」。園田高弘によるベートーヴェンへの掘削力を実感できる演奏。何故園田が自主レーベルを立ち上げまでしてベートーヴェンを録音したか、よくわかる。わたしは園田が世界中で聴かれる日が来るとは思わないし、日本においてすらさてどうかと思うが、それは演奏の価値には関係のないことである。我々はこのようなピアニストをもったことを誇っていい気がする。ってまあ、こんなところで吠えていても意味ないことはわかっているのだが。■リストのピアノ・ソナタ ロ短調で、ピアノはセルゲイ・エデルマン(NMLCD)。スケールの大きさ、迫力、音の美しさ等、すべて揃った見事な演奏であるが、どういうわけか心が動かなかった。理想的な演奏でも感動しないことがあるというのが、音楽を聴くむずかしさであろう。アマゾンのレヴューでは高い評価を付けている人が多かった筈である。わたしにはダメだったが、皆さんは是非聴いてみて欲しい。


■トイヴォ・クーラの六つのピアノ小品 op.26 で、ピアノは Adam Johnson(NMLCD)。トイヴォ・クーラはさほどの作曲家ではないように思われるが、それでもこうした小さい曲たちを聴いていると、大作曲家ばかり贔屓していられない気分になる。大したことなくても、作曲家が心を込めて書いたのが伝わってくるようだ。そんなに気のせいでもないと思う。■トイヴォ・クーラの「羊飼いのポルカ」、フィンランド民謡による変奏曲ホ短調スコットランド舞曲、「流れは舟を運ぶ」op.4-5b、「舟歌」op.21-2b、「古い秋の歌」op.24-3b、インヴェンション ホ短調で、ピアノは Adam Johnson(NMLCD)。なじんでくると、つまらぬか何なのかわからなくなってくるな。それはともかく、中沢さんのいうところの「つつましい音楽」だと思う。■プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第一番 op.19 で、ヴァイオリンはリーヤ・ペトロヴァ、指揮はクリスティーナ・ポスカ、オーデンセ交響楽団NML)。独奏者も指揮者もオーケストラも知らないという(笑)。でもなかなかいいじゃん。ペトロヴァさんは 2014年に来日している模様。オーデンセ交響楽団というのは、デンマークのオーデンセという町(?)にあるオーケストラらしい。オーデンセかあ、知らないなあ。

Sergel Prokofiev: Violin Concerto No. 1 / Carl Nielsen: Violin Concerto

Sergel Prokofiev: Violin Concerto No. 1 / Carl Nielsen: Violin Concerto

プーランク即興曲集(抜粋)で、ピアノはパスカル・ロジェNMLCD)。


さて、下らぬことを書くか。キズナアイ(笑)とか叩いている○○どもには本当に呆れるけれど、ああいう人たちにはカワイイ娘に対するコンプレックスがあるのだな。さてもそうでしょう(笑)まあ、自分の人生にはたぶん関係のない人たち。で、そういう○○を叩く正義の味方たちもまいどツイッターにどっと湧いて出てきて、ご苦労様ですな。自分はキズナアイちゃんはどうでもよろしい。そりゃかわいいけれどね^^ 何でも女性のイラストレーターの方が描いたキャラということだそうで。いずれにせよ、ツイッターは今日も平和だ。

僕は最近、ツイッター全然むかつかなくなった。皆んないろいろあるのだなあと思うだけ。そんなにおもしろくもないし、ひまつぶしにダラダラ読んでいる。まあ、ためになる「情報」とかもあるけれど、何のためになることやら。本当は、真剣にむかつくくらいのことがあった方がよい気もするのだが、ツイッターはそれほどでもないようだ。はてブもどうでもいい。どういうコメントが付いているのかだいぶ予想できるようになってきた。下らぬことでも上達するなあ。

正義の味方もいいんですけどね、あれになるのは簡単なんですよ。特に考えなくても、勉強しなくてもなれる。勉強してもなれるけど。で、一度やったらやめられないんです。正義にはそういう快感があるんですね。そして、必ず自分が正しいと思うようになります。程度はあるけれど、それは麻薬なんで、いままでそれでおかしくならなかった人は自分はひとりも知りません。結果的に、硬直化し、視野が狭窄します。若くても「老害」と同じになります。こうならないには、「悟り」でも開いていないと無理でしょう(笑)

でも、矛盾したことを言いますが、正義が絶対にダメってこともないのですね。「絶対」なんてことは、絶対にないんです(笑)

定期的に下らぬこと書きますね。バカだから。


しかし、ツイッターで唯一むかつくことがあるとすれば、それはこの荒涼たる風景だろうな。寒々として、魂を心底凍らせる。これはむかつくというよりは、絶望に近いが。どこまでも続く無明の闇。正直言って、どこに希望があるのだ? 別に自分を特別視するわけではない、ただ、残されたさほど長くもないであろう時間で、貧しい自分にやれるだけのことをやるだけだが、それもいつまで気力が続くものか。ツイッターに限ったことではもちろんないけれども。