深井智朗『プロテスタンティズム』

晴。のち曇。のち雨。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトピアノ三重奏曲第三番 K.502 で、演奏はトリオ・フォントネ(NMLCD)。

■バッハのイギリス組曲第三番 BWV808 で、チェンバログスタフ・レオンハルトNMLCD)。■バルトークのヴァイオリン・ソナタ第一番で、ヴァイオリンはカン・スヨン、ピアノはスティーヴン・デ・プレッジ(NML)。

Bloch & Bartók: Works for Violin & Piano

Bloch & Bartók: Works for Violin & Piano

■ノーノの「シルヴィアのための歌 『春が来た』」で、指揮はマンフレート・シュライアー、ノイエ・ヴォーカルゾリステン・シュトゥットガルトNML)。ノーノはいま聴いても鮮烈。目の覚めるよう。
Nono: Quando Stanno Morendo

Nono: Quando Stanno Morendo

ヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンは塩川悠子、ピアノはアンドラーシュ・シフNMLCD)。ヤナーチェクはまさに「中間の音楽家」だな。我々にも親しい感じがする。もっと聴かないと。■ヤナーチェクの「霧の中で」で、ピアノはアンドラーシュ・シフNML)。ヤナーチェクの音楽は我々の未来のためにあるようなそれだな。
Capriccio / Pohadka, A Fairy Tale

Capriccio / Pohadka, A Fairy Tale

 
夕食を楽しく飲み食い。強いお酒がおいしい季節になってきた。皆んなで、菓子とか柿の種とかぼりぼり食いながら黒糖焼酎をロックでやったりとか。

■エルネスト・ブロッホ(1880-1959)の「エキゾチックな夜」、「バール・シェム」、「アボダー」で、ヴァイオリンはカン・スヨン、ピアノはスティーヴン・デ・プレッジ(NML)。エルネスト・ブロッホって、てっきりあの『ウェルギリウスの死』の小説家が作曲もしているのかと思った。あの人は「エルンスト」だな。ちなみに『ウェルギリウスの死』は近日読む予定であるが、面倒なことはわかっているので先延ばしにしている。『夢遊の人々』はマジきつかった。さて、このエルネスト・ブロッホであるが、時代にしては保守的な語法ですね。ロマンティックといってよいだろうが、まあいまは酔っ払っていてよくわからない。■バルトークのアンダンテ イ長調で、ヴァイオリンはカン・スヨン、ピアノはスティーヴン・デ・プレッジ(NML)。バルトークにしてはロマンティックな小品。


深井智朗『プロテスタンティズム』読了。これはいい本だな。プロテスタンティズムに関する知識を大いにアップデートさせられた。カルヴィニズムなどは大幅にカットすることで、ルターから現代に至るまでのプロテスタンティズムの歴史をわかりやすく概観させてくれる。特に二十世紀以降の話がおもしろかった。ドイツでは、プロテスタントはおおよそ保守と言っていいというのはちょっと意外だった。また、アメリカ大陸に渡ったピューリタンたちはその保守的なプロテスタントの中では迫害された集団であり、その「新プロテスタンティズム」がアメリカのいわば無意識(という言葉を著者が使っているわけではない)を形づくっているというのもよくは知っていないことだった。その「新プロテスタンティズム」も、アメリカに来て多数派になると保守化するのである。
 それにしても、キリスト教自体、本書の記述を読んでいるとまったく厄介な宗教であると思わざるを得ない。これは極東の一仏教徒の妄言であるが、「神」というものが現実に存在していたら、はっきり言ってマズいのじゃないか(笑)。まあキリスト教徒のみならず、ユダヤ教徒にもイスラム教徒にも「神」の存在は当り前なのだが、じつに困ったものである。自分だけかも知れないが、他人が「神」を信じるのは結構なのだけれど、それがどうも気持ち悪いような気がして仕方がない。なんでそんなものを心の内に飼っているのか。まあ、幼稚な妄言というか偏見はこのくらいにしておこう。知恵ある者なら、こんなことは思うまい。むずかしいものである。

なお、本書によると、現代ドイツではヴァイマール憲法で規定された国家による宗教教育が基本法としてそのまま生きていて、実際に学校では特定宗教(カトリックプロテスタント)について現在でも教育されているという。つまり、ドイツでは国家と宗教が分離されておらず、このことは意外であった。ちなみにこれもドイツにおいて、いまやカトリックプロテスタントに次ぐ第三の規模の宗教はイスラム教であり、それもあるだろう、現在では国家による宗教教育は議論の対象になっているとのことである。