妹一家来訪

晴。

妹一家来訪。
皆んなで初詣に行く。長塚のお宮さんの敷地が、道路拡張のため無惨に切り取られていた。太い樹もいくつか伐採されていた。細い参道の入り口の両側に昔から石が立ててあるのだが、これらもたぶんそのうちに撤去されるのだろう。ここ、よい感じの場所で好きだったのだが。

AOJ をやったり。
AOJ(問題集)10 - Marginalia

元日は Ruby で遊ぶ

元日。晴。
あけましておめでとうございます。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンの七つのバガテル op.33 で、ピアノはアリシア・デ・ラローチャNMLMP3)。
 
元日はずっと AOJ をやっておりました(笑)。
AOJ(問題集)8 - Marginalia
AOJ(問題集)9 - Marginalia
 
それから、クリスマスに Ruby のバージョンが 2.6.0 になったので、これをインストールする。

大晦日に小澤征爾の「第九」

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの前奏曲とフーガ BWV901、三声のリチェルカーレで、オルガンはクリスティーナ・ガルシア・バネガス(NMLMP3)。■トーマス・ラルヒャーの「ポエムズ」で、ピアノはタマラ・ステファノヴィッチ(NMLCD)。ラルヒャーよいよ。

昼から正月用の食材の買い出し。老母はこれからおせち作りである。
老父と柳ケ瀬まで年越しそばを買いに。ここも毎年買うところ。

ベートーヴェン交響曲第九番 op.125 で、指揮は小澤征爾、東京オペラ・シンガーズ、サイトウ・キネン・オーケストラNML)。通俗的に年末に「第九」もよいと思って聴いてみたが、さすがに小澤征爾、最後はひどく感動して胸が熱くなってしまった。小澤征爾の作り出す音楽はあいかわらず美しくも楽しくもなく、ただただクソマジメなだけであるが、わたしはその小澤のクソマジメが好きである。この曲はやはり終楽章が問題で、前の三楽章に音楽としては劣るのでいつも長く感じてつらいが、小澤征爾の指揮だとどうしてベートーヴェンが最後をこんな風にしたのか、その気持ちが伝わってくるような気がした。クラシック音楽を聴き始めた頃の感動がよみがえってきたかのようである。年末に「第九」、悪くなかったです。

ベートーヴェン:交響曲第9番<合唱>

ベートーヴェン:交響曲第9番<合唱>

 

ブラームスの二つのラプソディ op.79 で、ピアノはパスカル・ロジェNML)。パスカル・ロジェは好きなピアニストで、最初はドビュッシーのすばらしい録音で刮目したのであるが、これを聴くとドイツものにも一家言あるのだなとわかる。実力者だ。

 
夜は家族で年越しそばに、イワシ丸干し。おいしかった。今年も家族みんなで年末を迎えられたことに感謝する。少し「紅白」を見て退散。
しかし、ネットを見ていると急速に心が冷えていく。いや、君たちは何も悪くないのだ。
 
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 op.61 で、ヴァイオリンはユーディ・メニューイン、指揮はヴィルヘルム・フルトヴェングラーフィルハーモニア管弦楽団NML)。普段はフルトヴェングラーなど聴く気が起きないのであるが、こういう時ならまあよいであろう。それに加えてソリストが若い頃のメニューインなのだから、よいに決まっている。というか、たぶん自分がこれまで聴いたこの曲の最高の演奏かも知れない。二人とも天才だからな。でも、つまらぬ話でもある。まあよい、よいに決まっているものを聴いてよかった、悪いことではない。時にはよいのだ、こういうのも。なお、フィルハーモニア管との録音で、音質はとてもよい。

MENUHIN CENTURY:HISTORIC

MENUHIN CENTURY:HISTORIC

■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第二番 BWV1003 で、ヴァイオリンはユーディ・メニューインNML)。

さても皆さん、よいお年を。と、なに読んで寝るかな。

2018年に読んだ本から / 吉田秀和『言葉のフーガ 自由に、精緻に』

日曜日。晴。今朝は氷点下だったらしい。

NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第三番 BWV1016 で、ヴァイオリンはアレクサンドル・ブリラ、チェンバロはマリア・バナシキヴィッチ=ブリラ(NMLCD)。■ボロディンの「小組曲」、他で、ピアノはクリスチャン・イーレ・ハドラン(NMLCD)。■シューマンの「謝肉祭」 op.9 で、ピアノはホルヘ・ボレットNML)。さすがはボレット。すばらしい。

■ディーリアスのチェロ・ソナタで、チェロはジュリアン・ロイド・ウェバー、ピアノはベンクト・フォシュベリ(NML)。

Complete Music for Cello & Piano

Complete Music for Cello & Piano

 

昨日は今年聴いた音楽のまとめを書いたので、今日は今年読んだ本についてまとめようと過去のエントリを見ていたが、あまり書きたい気がしない。どうせ書いても誰も見ないし、とか、それに、今年は本を読まなかった。印象に残った本がほとんどない。完全に老化であろう。それでもまあ、ちょっとだけ書いてみる。
 

たそがれてゆく子さん (単行本)

たそがれてゆく子さん (単行本)

老母が今年の三冊を選んで、去年も今年も伊藤比呂美さんを選んだと言っていたが、自分もいちばん心に残ったのはやっぱり伊藤さんの『たそがれてゆく子さん』かな。ウソくさい本ばかりが氾濫する中、本当のことを書いている人がどれだけいるか。伊藤さんは、本当に生きているなあと思わされる。もはや我々には、死しかリアルなものは残されていないのかも知れない。石牟礼さんも死んだが、本書には最後の石牟礼さんも出てくる。
 
魂の秘境から

魂の秘境から

花びら供養

花びら供養

綾蝶の記

綾蝶の記

ここすぎて水の径

ここすぎて水の径

言魂

言魂

その石牟礼さんだ。意外とたくさん読んだものだな。わたしは石牟礼さんを語る言葉をもたない。
 
アエネーイス (西洋古典叢書)

アエネーイス (西洋古典叢書)

古典もあまり読まなかった。『アエネーイス』は自分はそんなにおもしろく思ったわけではないが、まあそれでも挙げておこう。
 梯久美子さんの新書を読んだので、本書も読んでみたが、これは心に残った。原民喜が現代に生きていたら、何かを残し得たか疑問である。あの頃は文学があったから、彼のような人間でも何かを残し得た。それがよいことなのかは知らない。
 
禅海一瀾講話 (岩波文庫)

禅海一瀾講話 (岩波文庫)

枕頭の書として細細と読み継いだ本である。いまの仏教本は読む気が起きないが、これは本物だ。そういやこれも岩波文庫の『大乗起信論』も読み返して、おもしろかったな。いまは華厳が読みたいが、自分のような者にも読めるエディションがあるだろうか。
 
あとは、今年は中沢さんが「群像」に連載をもっていて、それが出るたびに待ちかねたようにして立ち読み(笑)した。中沢さんの単行本単著は『アースダイバー 東京の聖地』しかなくて、おそろしくさみしかった。連載は来年中に単行本としてまとまるだろうか。渇望している。それから、吉本さんの全集も少しづつ読んでなぐさめられた。中沢さんや吉本さんを読んで、かろうじて先へ進もうという気力が出てくる感じである。これが、日本終了二年目の我が読書の姿にちがいない。

ブログ「本はねころんで」さんは読書が先細りにならないよう、日々工夫を怠ることがない。ブログにはいつも深く励まされている。ゆたさんはこんなわたしに時々声をかけて下すって、感謝している。僕の一日は起きてゆたさんのブログを読むところから始まるのだ。yomunel さんの日記は週に一度の自分へのプレゼント。その他、okatake さん、善行堂さん、魚雷さん、等々いろいろなブログがなかったらとても僕はいまここにこうしていないだろう。ここに記さないブログその他も、僕はひそかに読んでいます。一年間ありがとうございました。

シューベルトのピアノ・ソナタ第二十一番 D960 で、ピアノはマリア・ジョアン・ピリスNMLCD)。この曲は終楽章だけ、それ以前の三楽章とだいぶ性格がちがう。というか前の三楽章に比べて一段レヴェルが低く、聴き劣りする。終楽章以外は大変な傑作というか、シューベルトの遺作にふさわしい曲なのだが。ピリスの演奏に不満はない。■シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」 D957、他で、テノールペーター・シュライアー、ピアノはアンドラーシュ・シフNML)。

シューベルト:白鳥の歌

シューベルト:白鳥の歌

 
図書館から借りてきた、吉田秀和『言葉のフーガ 自由に、精緻に』読了。単行本で 600ページ近い、吉田秀和さんのアンソロジーである。既に以前のエントリで感想は書いたので、あとは簡単に。僕はオペラにも印象派絵画にもあまり興味はないので、後半は流し読みした。本書でいちばんおもしろかったのは、ジュゼッペ・シノーポリを論じたものである。カール・ベームの指揮について書かれた文章もおもしろかった。先日も書いたとおり、自分は吉田秀和さんの文章を膨大な量読みながら現在まできたが、当分吉田秀和さんはもうよいという感じ。ここまで西洋文明を理解して、いったい何なのだという気がする。もっとも、我々は優秀な先達たちが平坦な道路をこしらえておいてくれたからこそ、そんな口がきけるので、別に我々がえらいわけでも何でもない。わたしも毎日西洋音楽を聴いてばかりいるが、別にふつうに聴いているだけである。そのような我々を作り出したのが、吉田秀和さんのような存在だった。まさに、圧倒的な能力であり、仕事であると思う。でも、もういいのだ。
言葉のフーガ自由に、精緻に

言葉のフーガ自由に、精緻に

2018年 ナクソス・ミュージック・ライブラリ まとめ

自分にとって今年の音楽というと、ゆたさんに勧められて、クラシック音楽のストリーミング配信サービスである「ナクソス・ミュージック・ライブラリ」に入会したのがとても大きかったです。(ゆたさん、ありがとうございます!)月 1850円でクラシック音楽の膨大なアーカイブを聴き放題というサービスで、もはやこれなくしては自分の生活は考えられないほどのヘビーユーザーになってしまいました。

ということで、日記とは別エントリを立てて、今年 NML で聴いた音源について簡単にまとめておきたいと思います。長くてすみません。以下、順不同です。

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こともなし


雪。今年の初雪である。5 cm ほど積もったようだ。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第二番 BWV 1003 で、ヴァイオリンはジュリアーノ・カルミニョーラNMLCD)。■モーツァルトのディヴェルティメント変ロ長調 K.254 で、ヴァイオリンはオーギュスタン・デュメイ、チェロはジャン・ワン、ピアノはマリア・ジョアン・ピリスNMLCD)。■ブリテンシンフォニア op.1 で、指揮はジェーン・グローヴァー、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ(NMLMP3)。

今年入会した「ナクソス・ミュージック・ライブラリ」を聴いた、今年のまとめを頑張って書く。いやあ、よく聴いていたのだなあ。


吉田秀和さんのアンソロジーの続きを読む。これで半分以上読んだ。わかってきたが、本書の前半(これまで読んだところ)は主に作品論で、だからこんなに分析的な聴き方がなされているのだ。自分はたぶんアナリーゼ(楽曲分析)ができないのがコンプレックスなのであろうが、それにしても吉田さんの筆はあまりにも正確で、分析が精緻すぎてわずらわしいほどである。しかしこれは、己の力を知らしめる、鎧であったのだ。世間がいやでも吉田さんの実力を認めたあとは、おだやかな書き方になったのだと思う。本書の真ん中くらいまできて、演奏家論とかコンサート評の文章が増えると、格段に読みやすくなるし、わたしが好んで読んできたのもそういうやさしい文章であった。
 ただ思うのは、シェーンベルクにしろブーレーズにしろ、自分の聴き方は既に吉田さんとはまったくちがうことが痛感される。いや、吉田さんは結局バッハでもモーツァルトでも同じことで、自然にアナリーゼしながら聴いておられる。自分もまたモーツァルトであろうがブーレーズであろうが同様に聴くが、自分はどちらもエモーショナルに聴くのだ。いや、「エモーショナル」といって正確に伝わるか疑問だが、よい言い方が思いつかない。そう、自分はアナリーゼはできないが、それで一向にかまわないと思っているのである。ただ、吉田さんの 100分の1 も音楽が聴けていないことは確かだが。それはもう、どうしようもない。
 それにしても、演奏家評など、同時代について書かれた文章が、いまでもほとんどそのまま通用するのがすごい。小澤征爾ではないが、吉田さんは何でもわかってしまうのだ。そして、大きなところを外すことはまずない。吉田さんは真に音楽を聴くことのできた、本物の音楽評論家であったと思う。

なお、本書にこんな文章がある。「今、しかし、西洋人もいれて、世界中の人たちは、西洋の絶対性ということにかつてのような信頼をおかなくなった」(p.201)と。これは 1974年の文章であるが、吉田さんのいいたいことはよくわかるし、それはある意味では事実であろう。しかしである。いまにおいて「西洋の絶対性」はむしろ全世界のデフォルトになっている。つまり、西洋の産んだロジックによる合理主義というのは、完全に全世界を覆い尽くしつつあり、それ以外の思考法があったということは抑圧されている。もしそんなこと、つまり「それ以外の思考法があった」などということをいうと、簡単に「オカルティスト」のレッテルを貼られてしまい、それでもはや見向きもされない。わたしはロジックとエモーションは融合されるべきであると考えているが、これはまさしく現在では蒙昧主義の主張に他ならず、まともに考えることのできる人間という評価を剥奪されてしまうことになる。もはや、おしまい、ついに詰んだ。希望がどこかにあるのか、わたしにはまったくわからない。

西洋を見ているとわかるが、ロジックがきつくなると非合理主義も強くなる。ロジックは暴力でもあるから、それから逃れようという働きもまた暴力になるのだ。ゆえに、さらに管理が強まるということになる。その負のスパイラル。

こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのヴァイオリン・ソナタ第二番 BWV1015 で、ヴァイオリンはアレクサンドル・ブリラ、チェンバロはマリア・バナシキヴィッチ=ブリラ(NMLCD)。バッハのヴァイオリン・ソナタ無伴奏ではなくて、チェンバロの伴奏が付いている)って、聴かれてない筈はないけれど、あんまり見かけないな。いい曲ですよねえ。

音楽を聴いていると自分に足らないものがわかることがよくある。

■バッハの前奏曲とフーガ ヘ短調 BWV534 で、オルガンはクリスティーナ・ガルシア・バネガス(NML)。

 
外はよく晴れている。水仙がきれいだ。
■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番 BWV1001 で、ヴァイオリンはジュリアーノ・カルミニョーラNMLCD)。■ブリテンの「ノクターン」 op.60 で、テノールはアンソニー・ロルフ、指揮はジェーン・グローヴァー、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ(NMLMP3)。最高ですね。マーラーの最上の歌曲に勝るとも劣らない名曲である。自分にはこれ以上、この曲について語る能力がないのが残念。まだまだブリテンは聴いていない。もっと聴こう。■シューマンピアノ五重奏曲 op.44 で、ピアノは近藤嘉宏、クァルテット・エクセルシオNML)。いやもう、ブラヴォーっていいたいね。特にひとつ挙げるなら、第二楽章かな。クァルテット・エクセルシオは、ぶ厚い響きがすばらしい。しかし、この曲好きすぎるな。ブラームスもよかったし、よいアルバムです。

近藤嘉宏/クァルテット・エクセルシオ/ブラームス・シューマンピアノ五重奏曲

近藤嘉宏/クァルテット・エクセルシオ/ブラームス・シューマンピアノ五重奏曲

 
いろいろしょうもないことをしていた。