『種村季弘コレクション 驚異の函』

晴。雲多め。
 
スーパー。プリペイドカードのチャージ、火曜日は余分にポイントがつく。
このところ小鳥が鳴かなくて、しんとしてさみしい。ツバメだけきれいな声で鳴く。
 
昼。
昨日 BOOKOFF の棚を見ていて気づいたのだが、単行本の小説のコーナーがかつてに比べずっとずっと狭くなっていた。三分の一くらい? いや、もっとかな。小説が売れないのがよくわかる。わたしもほんと同時代の小説を読まなくなった。ま、わたしの場合はたんに読書力が衰えただけのことだろうが。
 そもそも、マンガの立ち読み以外で BOOKOFF に来ている人がほとんどおらず、ガランとしていた。買取のための人はそこそこいたが。
 それから、BOOKOFF での買取だが、以前わたしが売ったときは最低買取価格が10円だったけれど、今回は 5円だった。ここにも、本の現状があらわれている。
 
ガソリンスタンド。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。36種スパイスで作ったカレーパイ+ブレンドコーヒー457円。
 『種村季弘コレクション 驚異の函』(2024)読了。諏訪哲史編。迷宮についてのエッセイ「K・ケレーニイと迷宮の構想」など、特におもしろかった。わたしは子供の頃「迷路」というものがいたく好きで、本に載っているそれを解くのが好きだったし、自分で迷路を紙に書いて拵えるのも大好きだった。中年になってから、プログラミングが少しできるようになると、自動でランダムに迷路を作るプログラムを書いて、遊んだこともある。迷路も迷宮も同じことで、古来想像力のひとつの典型だった。つまり、人間の精神そのものが「迷宮」であり、それは複雑で解き明かせないものの象徴なのである。
 しかし、いまは「迷宮」の時代ではない。精神がすみずみまで光によって「啓蒙」され、無意識にエネルギーが蓄えられなくなった。深層の「謎」はなくなり、感情的な剰余物は直ちに「暴力」として表面に回帰してくることになる(SNS!)。表象されないものは、存在しない。すべてが「知」によって理解されるのである。世界は記号によって覆い尽くされ、貧困化し、没落する。
 種村季弘さんは無用なことを特に語る人であるが、森羅万象をよくわかった人だ。ただ、自分にとっていちばん大事なことは、語らない。もののわかった人というのは、そういうものだ。

種村さんもまた、戦争による焼け野原を生きた世代である。既成の秩序が何もかも崩壊し、いわばまっさらな状態から精神を組み立てざるを得なかった。
 我々はその正反対だ。いちばん頭が柔軟なときに、既成概念によって構築された知的な「制度」を精神にこれでもかと注入されるのだ。だから、大人になってみると、もはや頭の中が「有用な」記号でいっぱいで、新しいことが頭に入らなくなる。あとはその記号をいかに巧みに操作するかだけで(そこにマウンティングと、ナルシスティックな優越感の発する場がある)、自由な発想には冷笑で対応するしかない。
 というのが我々の「精神の貧困」のスケッチである。さて、どんなものか。いや、我々の、っていうよりかは、わたしの「貧困」なんだけどね。
 
 
夜。
風呂で湯船に浸かっていると、遠くからアマガエルの鳴き声が微かに聞こえてくる。小さく、小さく。
 
『山田くんとLv999の恋をする』をなんとなく観返してたら、一気に第8話まで観てしまった…バカだ…。たぶん女性向け作品だけれど、めっちゃサクサク観られるな。超イケメン高校生プロゲーマーがなぜか惚れてくれるという、まったくふつうの女子大生に都合のよすぎる話だが、茜っち、いいコに描かれてるし。これなら多くの女性が感情移入できそう、なのかな? それとも最初の瑠奈ちゃんみたいに、ビッチ氏ねとかだろうか。とか、どうでもよかったわ。