エコクリティシズム批判 / 「徒然チルドレン」(2017)を観る

薄曇り。
 
昼。
自動車保険の保険屋が来る。
 
読書しようと「ひぐち」へ行ったら定休日だった、ボケていたな。
ドラッグストアで牛乳と歯磨き粉とかっぱえびせんを買う。
 
庭の花たち。

ネモフィラと芝桜。

桃。

クズ球根のチューリップだが、小さいのが却ってかわいらしい。


椿(ツバキ)二種。
 
 
図書館から借りてきた、結城正美『文学は地球を想像する――エコクリティシズムの挑戦』(2023)をテキトーに速読した。テキトーにしか読めなかったのでもしかしたらいい加減なことをいうかも知れないが――まあ、頑張っているところもあるけれど、根本的にダメ本であると思う。著者はいろいろむずかしい理屈を頑張ってこねているが、言語というものがそもそも「自然(=現実)からの疎外」であるという基本的事実に気づいていない。おそらく、本書でいうエコクリティシズム自体が、それに気づいていないのだと思う。どれだけ言葉を費やそうが、象徴構造は現実(=自然)より貧しい、ということが押えられていない。言葉は、「自然」の代わりにはならないのである。
 ただ、別の観点から見ると、優れた「文学」の如きが「自然を感受する感性」を涵養する、ということはあるかも知れない。(本書でも言及されている)石牟礼道子、あるいは大江健三郎の小説など、まるで自然のように複雑に絡み合った「豊かな」テクストが、こちらにセンサーを作り上げる可能性は、読み手によってはあり得る。しかし、それらの作家は例外的存在であり、実際、象徴構造に還元されない「豊かな」テクストはいまやめったに書かれることがないし、また我々の貧しさゆえ、そのようなテクストから富が得られることもめったにない。そして、本書は例えばいくら石牟礼道子を喋々しようが、そのような豊かなテクストでない。
 エラソーでマジごめん。

もちろん、わたしのこのブログだって、その意味で貧しいんだぜ。それはわかっている。
 
 
夜。
徒然チルドレン』(2017)第12話(最終話)まで観る。一話12分半のショートアニメ。いやこれ、笑った笑った、大爆笑。でもってキュンキュンする神ラブコメ。ラスト、マジで泣いたわ。最初は、絵柄が合わねーなーとか思ってたんだが、観ていくうちにこれはこれでストーリーにぴったりと感じるようになった。たくさんのラブストーリーが同時進行するというもの、皆んなはどの二人が好き? いやー、我ながらキモすぎるおっさんだが、じつによかったよ。騙されたと思って観てみ。
 原作は四コママンガなんだな、その雰囲気はよく出ている。