自分のまわりの世界とコンテンツ

晴。
 
何のために生きるかと問われて、もののわかった人が、自分のまわりの世界を感じるため、と応える仕方がひとつあるが、これを実行することは田舎に比べ、周りを記号で覆われ、リアルを感じにくくなっている都会では、もしかしたらよりむずかしいかも知れない。いやでも、田舎だったら、簡単というわけではない、田舎だって、周り(風景)がちっとも見えていない人がほとんどだと思う。田舎でも、いまでは人工物が主張し、我々は記号だけを感じて、精神の貧しい中で自足することになっている。(もっとも、人工物だからリアルでないというわけではない。)我々はいかに記号のぶ厚い層を破壊して、裸の現実を感じることができるか、ということだ。文明の病。
 
てか、コンテンツに意識を奪われすぎて、「自分のまわりの世界」どころじゃないよね。コンテンツは解体されなければならない。ま、享受したコンテンツは、理想的には、全部忘れてしまうことですよ。むずかしいけれどね。
 
テレビなどでヨーロッパの風景を見ると、それが管理されたものであることを強く感じる。きれいだが、あまりにパースペクティブが画一的だ。外部へ出られず、閉じている感じ。息苦しくないだろうかと思ってしまう。対して日本、特にわたしの住んでいる(少し郊外化した)田舎などは、風景が乱雑で無秩序、ノイジーである。ひどいものだといえばそうだが、そこに人の管理の意思が入り込んでいないという意味で、気楽ではある。
 

 
昼。
部屋の前の電線に留まって、モズ君が尾をピコピコ上下させている。
 
イオンモール各務原の駐車場に車を駐めて、一時間散歩。
以下、イオンモールの外をぐるっと半周する。





以下、金属団地内を歩く。




以下、小さな川沿いに。






リナリア・マロッカナ。






暖かい。航空自衛隊岐阜基地から飛び立った無人偵察機や、戦闘機が、頭上を飛ぶ。
 
 
夜。
少女終末旅行』(2017)第1話を観る。どうやら人類が戦争でほぼ滅んだあとの世界を、少女二人が戦車(?)に乗って旅していく、という話らしい。キャラデザは四コママンガのようとでもいうか、とってもゆるい。マイナーな独特のアニメって感じ。
 
早寝。