こともなし

曇。
 
「皆んなちがって皆んないい」といわれる。それは確かに正しいのだが、実感することはやさしくない。「皆んなちがう」というのはいい、誰でもわかる。しかし、「皆んないい」というのを実感するというのは、簡単ではないように思える。だって、それこそ皆んな他人にマウントしたい、「自分がいい、すごい」っていうのを、他人に見せつけたいので、「皆んないい」かどうかなんて、どうでもいいのだから。だから、「皆んないい」って思える人は、随分と自分をむなしくできる、消すことができ、また誰のことも理解でき、受け入れられる人なのだと思う。って、そんな人はめったにいない、狭量なわたしたちはそのことを、密かに知っている筈だ。
 いま他人を「理解でき、受け入れられる」と書いたが、さらに、理解するかどうかにかかわらず、誰でも無条件に受け入れられる人、なんてのは、それこそ聖人聖女の類で、そんな人はまずいない。しかし、わたしたちは自分にそれがほぼ不可能であるにもかかわらず、すばらしいということが、なぜわかるのであろうか。
 論理的に考えれば、「誰でも無条件に受け入れられる人」があるべき姿だといえるかはわからない。なぜなら、我々の少なからずはクズであり、そのようなクズまで誰でも丸ごと受け入れてしまえば、受け入れたその人もまたクズになることは避けられまい。ゆえに、それはあるべきでない、と。しかし、そのような推論が(正しくはあるかもしれないが)屁理屈であると思うのは、わたしだけではないであろう。我々は自分がどうであれ、誰かひとりくらいには無条件に、丸ごと受け入れてもらいたいと思うものではあるまいか。
 
 
スーパー。外気5℃で、さらに曇っていて寒い。
また車に鳥のフンが引っ掛けられていた。まったく、よくウンがつくぜ。
 
昼。
プールへ行こうかなと思っていたのだが、寒いので止める。
 
吉田氏によるモーツァルト(63) カール・ベーム(名指揮者)の死を悼んで K.183(173dB)1773年17歳 交響曲 第25番 ト短調 K.550 1788年32歳 交響曲 第40番 ト短調 | YouTube
吉田秀和さんの NHK-FM「名曲のたのしみ」1981.10.18。カール・ベームの追悼回。モーツァルト交響曲第二十五番をベームの指揮で聴いてみてなかなかよかったので、ブリテンの指揮でも聴いてみた(NML)。なるほど、吉田さんのいうとおり、ベームのはテンポが遅い。ブリテンと聴き比べてみると、終楽章なんかは、遅すぎて曲の特徴であるドラマティックな切迫感が出ていないな。というか、ブリテンはさすがの演奏、正攻法で聴かせる。
 同じくベームの指揮で、交響曲第四十番を聴く。これは充実した、すばらしい演奏。ああベーム、やっぱり世紀の大指揮者だなと思う。これもゆっくり目のテンポで、余計な作為がない。わたしはこの曲が苦手でほとんど聴かないのだが、これならば聴ける。
 なお、iPad mini の低音質で視聴。
 
 
NML で音楽を聴く。■マーラーの「リュッケルト歌曲集」で、コントラルトはハンナ・シュヴァルツ、指揮はクラウディオ・アバドシカゴ交響楽団NML)。ピアノ伴奏版はフィッシャー=ディースカウバレンボイムの録音、オーケストラ伴奏版はこれがいいのではないか。交響曲第五番と同時期に作曲され、管弦楽版は薄めの巧みなオーケストレーションになっている。わたしは特に「私はあえかな香りを吸い込んだ Ich atmet' einen linden Duft」の曲が好きで、オーケストレーションは洗練の極致であり、花の香りを扱った歌曲でこれ以上のものを知らない。リュッケルトの原詩は、恋人から贈られたリンデ(菩提樹)の花の香りを、言葉遊びを使いながら軽く歌っている。
 
■フランクのヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンはクリスチャン・フェラス、ピアノはピエール・バルビゼ (NML)。美しい。1965年の録音。

 
 
夜。
第665回:病気になろうが仕事がなくなろうが一文無しになろうが世の中すべてを敵に回そうが、ビクともしないだけの「死なないノウハウ」、収集しました。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
「衰退していく日本で暮らしていると、年々この国に住む人々が意地悪になっているのを感じる。多くの人が思っていることだろう。が、ある意味、それは不安の裏返しだとも思うのだ。困窮する人への視線が厳しく、より『自己責任』という声が大きくなっているように思えるのも、生活保護バッシングが起きるのも、多くの人の不安のあらわれではないのだろうか。」
 
【推しの子】OP主題歌「アイドル/YOASOBI」 高橋李依(アイ役)cover.【歌ってみた】 | YouTube
どうでもいいが、なぜ総視聴回数よりも「いいね」数の方が倍もあるんだ? そういうこと可能なシステムだっけ。
 
 
寝る前にうとうとしていたら、心のピントが合った感じになる。