トニ・モリスン『暗闇に戯れて』

曇時々晴。
 
NML で音楽を聴く。■バッハのイタリア協奏曲 BWV971 で、ピアノはタチアーナ・ニコラーエワ(NML)。

■タチアーナ・ニコラーエワのピアノで、編曲されたバッハの小品集を聴く(NML)。
 
ドラッグストア。
スーパー。五倍ポイントの日。今日は何か安く済んだ。肉が(肉屋で)買ってあったりしたからかな。
 
昼。
長時間、昼寝。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。
トニ・モリスン『暗闇に戯れて』読了。副題「白さと文学的想像力」。薄い本だが、予想よりもずっと難解なそれだった。(日本でいう)一種の「文芸批評」として、アメリカにおける黒人差別、人種差別を文学の中に読み込んでいるわけであるが、高度に知的であり、少なくともわたしには、著者が何をいいたいのか、注意して読んでもわかりにくい部分がたくさんあった。本来なら、一行一行丁寧に読み解かねばならない本なのかも知れないが、正直いってわたしは本書にそこまでの手間はかけなかった。
 例えば著者は第二章で、(わたしの読みがいいかげんでないなら)ただ「白」、ただ「黒」という小説的イメージそのものにまで人種差別を読み込もうとしている、ようにも見えかねないが、そこまでいえるのか、わたしはついていけなかったことを白状しておく。
 あと、著者が取り扱っているのは人種差別であるが、わたしは現代の様々な差別批判、特にフェミニズムの性差別批判のことも思い出さずには読めなかった。わたしは性的にかなり古くさい嗜好・志向の持ち主であり、進歩的な人たちから批判されかねないので。時代は明らかにジェンダーレスの方向に進んでいるが(例えばよくいわれるようになった LGBT も、ジェンダーの差異に拘っており、ジェンダーレスという観点からは性的に自由でないとして、批判されるべきなのだろう)、それについていき切れないないわたしなどは、時代から引っ込んで、「引退」していた方がよいように、よく思う。

 
岩波新書の『社会学の新地平』の続きを読む。
 
夜。
食事しながら NHK-BS で「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」の只見線編を観た。途中から観始めたらおもしろくて、最後まで観てしまった。しかし六角さん、よく呑むし、よく食べるな。体、悪くしないかしらんと心配になるくらい。只見線沿線、只見川がもうすばらしく美しいし、住民の只見線愛がまたよい。岐阜県で、あんなところがあるかといわれれば、たぶんないだろうというしかない。
 
『キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦』第9話まで観る。ほんとしょーむない作品だなと思いつつ、観てしまう。どちらかといえば女性向きなのか? しかしアリス、まじツンデレですわ笑。
 検索してみたら、え、今年2期やるんですか。意外と人気があるんだな。