こともなし

曇。

大垣。

昼から、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。今日は家族の分のドーナツも買った。綿野恵太氏の続きを読む。第五章まで読んだ。わたしは大変な、不思議な時代を生きているのだなあという感を強くする。記述は本格的に「差別」の問題に入ってきた。差別批判は差異を同質性に解消するということ(例を挙げれば、「女性が男性に劣っている(差異)のではない。女性の能力は男性と同じである(同質性)」などという言説)。差別は「非AはAではない」という、トートロジーの論理を基盤にするということ。なるほどという他ない。これから問題になってくるのは、エビデンスをもった、科学(例えば社会ダーウィニズム)を援用した差別であるということ。これもなるほどである。
 ここでは、第三章の「ハラスメントの論理」を読んで、わたしの脳裏に浮かんだどうでもよい、個人的なことを書いておきたい。いまでは様々な「ハラスメント」があって、「差別」と深く関わっていることが本書では指摘されている。例えば、ヴァーチャル・ユーチューバーの「キズナアイ」ちゃんは性的に過ぎるかということで、ネットで炎上したことがあるが、つまり「キズナアイ」ちゃんの動画はセクシャル・ハラスメントであり、女性への差別であるかという言説。本書はそこからポルノグラフィの規制について論じたり、何かと高尚な話だが、わたしのは下らない話である。どうでもよいことであるが、わたしには、気に入った女性、好きな女性をからかったり、いじめたりしたいという性癖があるらしい。例えば中学生のとき、わたしは同級生のある女の子が気に入っていて、いじめていたものであるが、それから随分年月が経って、わたしの感情はその子にはお見通しだったことがわかったから、少なくとも八〇年代あたりにはそのような恋愛コードは一定の理解があったらしい。そしてその性癖は、脳みそが厨坊レヴェルのわたしには、いまでもあまり変わりなく存在しているようである。もしわたしがある会社で年下の女性を部下にもっていて、彼女のことを気に入っていたら、まあその女性がどういう個性なのかにも拠るが、エッチなことを言って彼女をからかうということ、そういうことをする可能性は高いと思っている。さても、恋愛コードとしてもじつに幼稚な話で、笑われるようなものであるが、彼女がわたしのその言動をどう思うかとは別に、わたしの行為がセクシャル・ハラスメントに相当し、いまでは絶対に許されないことはいうまでもない。まあ、現実にはそのようなことにはならず、わたしはこれからもずっと孤独でありそうだが、それとは別に、そういう社会になってしまったのだなあという感慨は多少ある。いや、じつにどうでもいいことなんですけれども。
 下らないことを書いたが、さてまたまじめな話をすると、現在の「ハラスメント」云々には、ネットの役割も非常に大きいと思う。いわゆる「炎上」である。たぶん綿野氏にはネットの存在は自明すぎるのだろうが、そこいらももう少し知りたいなあと思った。

もはや、我々にあっても「あいまいさ」は許されない。頭を冷やせといっても、怒られるだけであろう。皆んな、クソマジメすぎるのだ。論理というのは、いつもクソマジメである。

そういや、昔わたしの知っていたある優秀な女性が「おっぱいの大きい子はバカに見える」といっていたが、こういうのは何になるのかね。わたしにはよくわからない。彼女のおっぱいがどうだったかは、ここでは書かないことにしよう。

考えてみると、「AはAである」というのと「非AはAではない」というのは論理的には共にトートロジーであり、等価であるが、我々の印象としては同じではないのだな。もっとも、後者は排中律を必要とするが。

源一郎さんの「論語」現代語訳本を少しづつ読んでいる。翻訳に20年もかけたのだって。僕は「論語」はかつて岩波文庫版で読んだが、それもおもしろくて、友達にソクラテスと比較して熱く語ったことがあるらしい。しかし、この源一郎訳は、いままでの翻訳とまるでちがう。源一郎さんは「超訳じゃない、こんな厳密な訳はない」と仰っているけれど、僕は「超訳じゃないの?」と最初は思いました(笑)。けれども、読んでいくうちに源一郎さんの言いたいことがわかってきた。結局、人間は2500年前と、ある意味では全然変っていない、それがはっきりするという意味なのではないかと思う。そういや、小林秀雄に、「論語」を「宇宙第一之書」と呼んだ漢学者の話があったが、あれは誰のことだったっけ?


NML で音楽を聴く。■ブラームスの「四つの小品」 op.119 で、ピアノは関本昌平NMLCD)。■ブラームスクラリネット三重奏曲 op.114 で、クラリネットはニコラ・バルデイルー、チェロはラファエル・ペロー、ピアノはジョフロワ・クトー(NML)。

そういえばアナトリー・ヴェデルニコフは NML にあるかなと検索してみたが、まるでないようだ。こういう人ほど NML に入れて欲しいのだが、レコード会社はもったいないと思うのかな?