こともなし

晴。外は積雪で白銀の世界だ。


 
どうも外付けHDD をマウントすると不安定なので、fsck コマンドで修復する。やはり一部壊れていたみたいだ。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン交響曲第三番 op.55 「英雄」で、指揮はアンタル・ドラティミネアポリス交響楽団NML)。1957年の録音。ドラティミネアポリス響はステレオ初期にマーキュリー・レコードに多くの録音を残しているそうであるが、そのひとつ。たぶん、(文化的)大量消費時代になって、普及品として求められたのであろうが(要出典)、イン・テンポでおそろしく辛口のエロイカ交響曲、はっきりいってめっちゃおもしろい! 野蛮なベートーヴェンの魅力が、爆発している。何ごとも洗練・類型化されているいまでは、望むべくもないタイプの演奏だろう。強い感動を覚える部分もありました。音楽の原初的な喜びを伝えてくれる、といったら褒めすぎだろうか。

 
昼。
オカタケさんの「ふくらむ読書」を読んでいて、わたしにはもう、中里恒子の『歌枕』は読めないんじゃないかと感じた。例えばオカタケさんが引いている、「だいぶ水をくぐったらしい冴えた藍の、くたくたになった薩摩飛白に、みじんの筒袖の半纏を着て」という文章が、わたしの場合、さっと読んだだけでは、ほぼまったく映像喚起しない。わたしは同世代の中では古い小説を比較的読んできた方の筈だが、それでもいけない。そもそも、日常的に深夜アニメなんぞを観ている人間が、中里恒子を理解しようというのがむずかしいわけで。もう、めちゃくちゃに壊れているのだ、わたしの方が。教養がないというのは、ダメだな、わたしは。
 全然関係ないが、この春陽堂のサイト、以前も書いたけれど、そのままではコピペできなくて、めんどうでちょっと腹が立つ。[Ctrl] + [U] でわざわざソースを表示させて、コピペしないといけない。引用のためコピペさせるくらい、何の問題もないと思うのだが。もし、一括ダウンロード防止とかのつもりなら、こんな対策ではまったく意味がないことはあらためて指摘しておきたい。
 
J.S. Bach - Sonata in G minor, BWV 1001 | YouTube
ギター編曲版で、ギターは Drew Henderson。
J.S. Bach - Prelude, Sarabande, Gigue & Double from BWV 997 | YouTube
リュート組曲からの抜粋で、ギターによる演奏。
 
 
いつものごとく、イオンモール各務原へ。抜けるような青空、澄み切った大気、低い太陽高度からの斜めの陽差し、白く光る雪。世界が美しい。
 3F フードコートのミスドハニーディップブレンドコーヒー451円。もういいかげんドーナツも飽きたよね、って思うんだけど、実際に食うとハニーディップうまいなってなる。
 温又柔さんの『私のものではない国で』をゆっくり読む。エッセイ集、やわらかい文章で、なかなか深いことが書いてある。温又柔さんは台湾人だが、3歳のときから日本で暮らして、日本語の中で育ってきた作家。それでも、名前からしてすぐに「日本語お上手ですね」とか、いわれてしまう。X で「日本は…」とかつぶやけば、「外国人にいわれたくない」というクソリプが返ってきたり。長年日本で暮らしているのに、選挙権がない、というと、じゃあ帰化しろよ、といわれる。これなんかはむずかしい問題だが、温又柔さんが割り切れないのはよくわかる。
 しかしわたしは思うが、マジョリティの偏見というものを完全になくすのはむずかしい。だから、マイノリティが声を挙げ、指摘し、またマジョリティがそれを受けて考える、というサイクルがどうしても必要なのだ。本書を読んでいると、自分も完全に偏見から免れていると、いえるだろうかと思う。
 
老母に雑誌を頼まれたのでフードコート隣の未来屋書店で買おうと思っていたら、リニューアル工事とやらで閉鎖中。じゃあ、ひさしぶりにカルコスへと、2023.12.4 以来のカルコスを訪れる。文庫本新刊では、レヴィ=ストロースの未発表講演録、岩波文庫オクタビオ・パス、オカタケさんの『古本大全』を購入。新書本では、岩波新書の『ケアの倫理』。「ケアの哲学」みたいなのは、いま流行っているよね。
 他にももっと買いたい本はあったが、いまの衰えた読書力ではたぶん読めないので、またの機会があったら。岩波文庫新訳のクライスト『チリの地震』は迷ったが、読んだ旧訳の訳者が種村季弘さんだったんだよね。なので今回は留保する。ちくま学芸文庫新刊の久賀道郎『ガロアの夢――群論微分方程式』は名著として名高いが、これも数式が追えまい(わたしにはガロア理論はむずかしすぎる)。でも、やっぱり買うべきだったかなあ…。