玄侑宗久『日本人の心のかたち』

祝日(秋分の日)。晴。

武満徹の CD を聴く。「ア・ウェイ・ア・ローンII」「海へII」「ドリームタイム」。いかにわたしが狭い領域に跼蹐しているか、はっきりとわかる。

 

NML で音楽を聴く。■ムソルグスキー組曲展覧会の絵」で、ピアノは辻井伸行NML)。

 

岡崎武志的LIFE オカタケな日々〔62〕 | 春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]
近々書籍化されるそうだ。楽しみだな。

昼寝。

カルコス。濱口先生の啓蒙書など岩波新書二冊に、ちくま学芸文庫とか購入。かつてなら買っていたであろう本も他に出ていた。ま、いろいろな理由であまり買わないようにしている。


日没前、散歩。一時間くらい歩いたらちょっと疲れた。

ウチの紫苑。

赤いピーマン。



落水で草がトラップされていた。くるくる回る。


おひさしぶり、きったない猫。

お彼岸だけれど、彼岸花はもうお終い。あと、ドローンを飛ばしている人がいたな。

夜。
玄侑宗久『日本人の心のかたち』読了。「不二」について『維摩経』の話が特におもしろかった。確かにわたしは「自分が正しい病」に罹っているな。そして、じつにつまらないことで苦しむことがある。まことに未熟。まだまだ初歩的レヴェルである。

 
井筒先生の『東洋哲学の構造』から「9 禅仏教における時間のフィールド構造」を読む。大乗仏教における時間の把握は、わたしにはひどくむずかしいもののひとつだ。時間は流れるし、一方で流れない、というのはまだよい。けれども、アーラヤ識には時間性がない、とは? そもそも、アーラヤ識を知覚することはできないのだ。わたしにわかるのは取りあえず、時間は現在しかない、ということだ。過去も未来も、現在においてしかない。それははっきりとわかる。