岩田慶治『死をふくむ風景』

晴。
めずらしくふつうっぽい夢をたくさん見たような。
 
Bach: Brandenburg Concerto No.6 | Claudio Abbado & the Orchestra Mozart - YouTube
弦楽六重奏通奏低音という、室内楽小編成での演奏になっている。いつものコンマスもいないし、(タイトルに名前はあるが)アバドの指揮もない。そのせいだと思う、悪いわけではないが、極々平凡な演奏になっているのが興味深い。というか、聴き始めてまずアレッと思った。やっぱり、そういうものなのだなあ。
 
昼。
外でメジロがチクチク鳴きっぱなしなのが、部屋にいても微かに聞こえる。メジロは体が小さいし、なかなか姿を見せてくれない。
 
寝ころがって iPad mini で村山卓洋のピアノを聴く(バッハのフランス組曲第三番、ドビュッシーの「映像」第二集、NML)。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの讃美歌集を聴く(NML)。昨年に種村季弘さんの『ビンゲンのヒルデガルトの世界』を読んだこともあって、その音楽は聴いてみないと、と思っていた。
 珠希真利を聴く(シリウス四重奏団、NML)。
 
岩田慶治『死をふくむ風景』(2000)を読み始める。第四章まで読む。豊かな心の世界。著者のことはまったく知らなかった、『今日のアニミズム』という本で知った(引用を読んで驚いた)。文化人類学者。たぶん、かしこいいまのインテリは本書がバカバカし過ぎて、読めないだろうし、読んでもわけがわからないだろう。まあ、そういうものだから仕方がないが。わからなくても、ただ読めばいいのである。
 
夜。
図書館から借りてきた、岩田慶治(1922-2013)『死をふくむ風景』読了。この人の学問には、著者自身の「主観」が分かちがたく入り込んでいるようだ。客観性が前提であるアカデミズムとはまったく相容れないが、よくこんな学者が存在できたな。いや、著者の学問的著作は、客観的なのかも知れない、わたしはまだ読んでいない。いずれにせよこのような試みはじつに稀で、わたしにはこういうのが本当に役に立つのだ。なぜなら、わたしたちの生は、自分の「主観」と分かちがたいから。いやでも、ほんとはそれは、「主観」であって「主観」でないわけだが。一方でそれは、「客観」でもない。

 
早寝。