清水高志&奥野克巳『今日のアニミズム』 / 「もういっぽん!」(2023)を観る

曇。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェン交響曲第七番 op.92 で、指揮はリッカルド・ムーティフィラデルフィア管弦楽団NMLCD)。聴き終えて「ブラボー」って叫びたくなる、巨大で熱い演奏だな。さて、これでムーティフィラデルフィア管のベートーヴェン全集を聴き終えた、筈。どれも熱くぶん殴られるような(?)やつだから、お勧めできる。1980年代後半の録音で、ムーティはまだ40代、それにしてこの広大な射程とパワーは、驚かされる。いまやムーティは80歳を超え、一方で期待の若手は例外なく小粒で、大指揮者の時代は終わろうとしている。これからは、どんな才能が出てくるのだろうな。

この全集を聴き始めたの、2023.3.27 か。すべて聴くのに随分と時間をかけたな。
 
昼寝。
 
 
珈琲工房ひぐち北一色店。客多し。
清水高志&奥野克巳『今日のアニミズム』を読み始める。これはおもしろい。特に奥野克巳さん(人類学者である)の方が、たいへんよくわかる。中沢さんをよく理解してたくさん引用しているのも、非常にめずらしい(何様)。清水高志はとても抽象的で、頭のあまりよくないわたしにはどうもわかりにくい。この抽象的な文体が、アニミズムだとでもいうのか。
 二人が岩田慶治(1922-2013)という京都学派の人類学者を頻繁に引いているけれど、この岩田という人は全然知らなかった。引用を読むだけでもの(あるいは世界)のよくわかった、たいへんな人物であったことがわかる。こんな人がいたなんて、驚きだ。わたしはまだまだだなと思う。
 蛇足しておけば、アニミズムは今日でも、また都会でも可能である筈だ、アニミズムは世界の裂け目からのリアルの侵入を感じるものだから。それが現代人にむずかしいのは、世界を象徴体系の相のもとに理解しようとするからである。象徴体系によって理解された世界は貧しい。ただ、現在は誰もあまりに象徴体系によって「汚染」されているから、これを解体して「生(なま)の現実」に直接触れる行為は、ともすれば「精神の病」を招き寄せてしまうことになる。そこが、今日のアニミズムの、むずかしさである。
 
帰りに肉屋へ寄る。今日は閉店時間が早いせいか、置いてある肉が少なかった。
 
岩田慶治も奥野克巳も、図書館で結構読めるな。これは楽しみ。
 
図書館から借りてきた、清水高志&奥野克巳『今日のアニミズム』(2021)読了。ほんとおもしろかった。なかなかいい線いってる(何様)。でも、もっと語らないこと。何も語らなくてもいいし、少しだけ語ってもいいし、バカにされる幼稚なことを語ってもいいし、どうでもいい、無意味なことを語ってもいい。奥野さんは玄侑さんを多少引用しているな。やはり、って感じ。
 

 
夜。
自分はひとつのスクリーンだ。世界の運動がそこに映り、自分の感情の湧き出しがそこに映り、自分の思想がそこに映り、自分の行動もそこに映る。たんに、それだけでいいのだ。そのままにさせておけばいい。それがひとつの段階である。
 しかし、そのスクリーンはじつは存在してはならない。そのスクリーンは破られ、跡形もなく消滅せねばならない。自分=世界となるのは、そこにおいてである。
 
さても、自分が未熟者で困るよ、わたしは。
 
 
ガザやロシアやウクライナのまだ煙が上がっている廃墟の映像のあとに、輪島の焼け野原を動画で見ると、何ともいえない連続性を感じる。輪島は、戦争の被害ではないのに。まあ、誤った連続性なのかも知れないが。
 
 
たまゆら〜hitotose〜』第9話まで観る。
 
『もういっぽん!』(2023)第13話(最終話)まで一気観! これを高評価している人を何人も見たので視聴してみたが、実際おもしろくて止められなかった。女子柔道友情アニメ、主人公は明るい元気ポジティブちゃんで、ムードメーカー。その他内気なエース、またわりとふつうの子たちが、力の限りを尽くして、精一杯に闘う姿が熱い。
 ほんと2期希望なんだよね、主人公は覚醒しそうだし、まだ試合に出ていない子もいるし、先が楽しみ。柔道の試合のシーンが半分以上だけれど、ワクワクしながら観ていた。