こともなし

冬至。晴。雲多し。
昧爽起床。暗い気分で目覚める。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトの 二台のピアノのためのソナタ K.448 で、ピアノはマルタ・アルゲリッチ、アレクサンドル・ラビノヴィチ=バラコフスキー(NML)。かつて CD で何度も聴いた演奏であるが、あまりのすばらしさに第一楽章など泣けてしまった。何という生の躍動! しかし気を取り直して聴いてみると、この曲、モーツァルトがリミッターをつけずに書いたそれで、和声やコード進行など、じつに斬新なところがあるではないか。長調から突然短調に転調するのはモーツァルトがよくやることであるが、この曲など、ハッとさせられる。規則どおりの進行からなので、特に意外性が大きい、またそれがさりげないのだ。いまさらわたしなどがいうまでもないが、意欲的な、ほんとにいい曲だと思う。

ハイドン弦楽四重奏曲第五十五番 Hob.III:70 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十八番 op.101 で、ピアノはファジル・サイNMLCD)。■ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」で、指揮はシャルル・デュトワモントリオール交響楽団NMLCD)。デュトワラヴェル、いま聴いても新鮮。
 
昼。
世界を丸ごと 0.1mm だけ横へずらす。それだけで、何もかもが変わってしまう。
 
 
県図書館。落合勝人『林達夫 編集の精神』(2021)、清水高志&奥野克巳『今日のアニミズム』(2021)、岩波新書の『文学は地球を想像する』(2023)などを借りる。
 『新潮』誌8月号がようやくあったので、ソファに座って、特集「坂本龍一を読む」の中沢さんの文章を読む。中沢さん以外では、岡田暁生氏とか山田洋次さんのが印象に残った。岡田さんのは、テレビ番組の収録が終わったあと、坂本さんがベートーヴェンソナタを丹念に弾いていたのが意外で印象的だったというもの。山田監督は、坂本さんがあることで激怒し、「日本の劣化」ということをいった、というもの。


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借りたばかりの『林達夫 編集の精神』を読み始める。100ページくらい読んだ、なかなかおもしろい。林達夫には若い頃とても影響を受けたな。いまでも机にいちばん近い本棚の、手の届くところに四冊の中公文庫本が置いてある。わたしには数少ない全集・著作集の類として、『林達夫著作集』ももっているほどだ。
 でも、随分と遠いところまで来てしまったなと思う。わたしはそもそも知識人でないし、林達夫のような「書物の人」でもない。いや、学生の頃なんかは、よくも悪くも「書物の人」だったかも知れない、まわりの優秀な学生の中にいても、自分の読書能力に絶大な自信をもっていたくらいだし。いまはちがう。まあでも、本物の「書物の人」に敬意を抱くことは已めていないけれど。
 
 
夜、雪。かなり強く降っている。朝までに積もるかな。
風呂は柚子湯。何故かこれまでにも増していい匂いだった。湯に浮かぶ惑星のような柚子たち。
 
ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』読了。
きわめて抽象的なデリダとは(たぶん)関係ないが、日々わたしの近くにいる動物は、鳥たちであり、(虫も動物であるならば)蝶、蜘蛛、そして(ゴキブリやヤスデなど)そこいらを這いずくっている有象無象の虫ケラどもだ。夏なら、セミや、ハグロトンボ、夜鳴く虫たち。田舎だからムカデが出るが、さすがにこいつは殺さざるを得ない。わたしはヴィーガンではない。動物愛護主義者でもない。しかし、そのうち、長らく行っていない動物園に、行ってみたいものだと思っている。
 鳥たち。たったいま、夜なのにカルガモが鳴いていた。先ほども、風呂から出たとき、真っ暗な中、鳴いていた。俳句には「小鳥来る」という季語がある。どの季節の季語か、わかるだろうか。(老母から教わる)俳句の季語には、感嘆させられるものが多い。ところで、(いまの)日本人が自然に敏感である、親しんでいると、わたしはあんまり思わない。俳句の季語の多くを、現代人は実感しないと思う。特に都会では。
 わたしは、植物も生きていると思っている。近年、わたしの住んでいる近所に新築の家がどんどん建っているが、その多くに庭というものがなく、もちろん木も花もない。地面をコンクリートで覆ってあり、(あるとして)せいぜい芝生があるくらいだ。確かに、木や花があるとたいへんである。土があれば「雑草」が生えてしまう。
 そうそう、でも、犬を飼っている人は多い。たいがい、小さな、よくわめく神経質そうな犬たちで、犬を両腕で抱いて「散歩」させている(散歩している?させられている?)人を、近ごろは見かける。