吉野・明日香・興福寺家族旅行(第二日)

昨日はひどく疲れたので、七時間ほどぐっすり眠って、五時頃に目が覚めました。外から始発電車の音が聞こえてきます。

ホテルの部屋から。近鉄電車が見えます。

さて、九時にホテルをチェックアウトし、再び明日香(飛鳥)へ。橿原からはすぐです。明日香は何度もいったことがあるのですが、今回は「キトラ古墳」の壁画を見にです。壁画古墳は同じ明日香の「高松塚古墳」が有名ですね。

キトラ古墳壁画体験館 四神の館」の地下入り口。わたしはよく知らず、この「体験館」の展示で知ったのですが、キトラ古墳の壁画は保存状態が非常に悪く、専門家が検討を重ねて、壁画をすべて古墳から取り外す、というのか、剥がすというのか、して保存することが決定され、それはもうとにかく前例のない作業で、困難をきわめたそうです。その10分程度のドキュメンタリー映像を観たのですが、感銘を受けました。

これは石室内部のレプリカというか、もうこういう状態では残っていないのですが。四方に「四神」の絵が描かれています。
 ネットで事前予約をして、「体験館」1F にある、いちばん保存状態のよいであろう「玄武」*1とその周辺の実物をガラス越しに見せてもらったのですが、正直申して、肉眼ではあまり鮮明に見えないですね。おそらくデジタル処理してあるであろう写真画像の方が、よくわかります。人数と時間を限り、きびしい注意とものものしい警備の中の見学で、さすがに驚きました。こんなふうに文化財を見たのは、これが初めてです。

壁画を剥がし、埋め戻されたキトラ古墳。7世紀末〜8世紀初めの古墳時代末期のものという小さな円墳です。誰の墓かはわかっていません。あたりは国が特別地区としてきれいに整備していてありました。
 
あとは、奈良・興福寺へ寄って京都経由で帰ります。明日香から奈良市街までは国道24号をメインに走ったのですが、全国どこも同じ、郊外のゴチャゴチャしたロードサイドの風景がずっと続きます。ほんと、岐阜も奈良も一緒です。昨日の山の中の国道369号、あるいは大宇陀の風景などと比較して、いろいろ思うところがありました。いまの日本は、まさにこの郊外のゴチャゴチャした風景が、象徴しています。これこそ「日本」なのであり、人工都市・東京を中心に、日本全体をこれ一色に染め上げようというのがいまの日本人なのだなと思いました。
 
正午に奈良市街に到着、興福寺の駐車場は当然のように満車だったので、運良く空いていた近くのコインパーキングに車を駐めて、歩きます。まずは少し離れたところにある蕎麦屋までとぼとぼ歩いたのですが、予想どおり長蛇の列で入れるものではなく、暑くなってきた中、とっても愚かでした。このあたりは食べるところがなく、新築のバスターミナル内にあったスターバックスになんとか席を見つけて、昼食。もう、げっそり疲れました。

市街のまさに中心部の、新築のバスターミナル。こんなのは知りませんでした。観光案内所やきれいなトイレも併設されています。

奈良県庁。これも全然知らなかったのですが、モダンな建物になっています*2。誰の設計なんでしょうね。

奈良公園。それにしても、このあたり、外国人観光客ばかりです。西洋人は当然多いですし、それにもまして、アジア人も知らない言葉ばかり、日本人はどれだけいるのか。イスラム教徒の姿もめずらしくありません。日本の修学旅行生たちは、どこへいったのでしょうか。観光立国・日本の姿を、心底実感いたしました。
 

興福寺であります。東金堂と五重塔。さすがに立派です。

新築の中金堂。

南円堂。

北円堂。秋の特別開扉ということで、中の釈迦如来坐像、無著・世親菩薩立像、四天王立像を見せていただきました。運慶一門の作ということで、すべて国宝に指定されているのも納得の、傑作揃いでした。
 あとは、歩き疲れた中でしたけれど、頑張って国宝館に入りました。ここって、いつ新しくなったのですかね、無知で恥ずかしいのですが、いったい国宝がどれだけの数あるのか、質量ともに飛び抜けたレヴェルの仏像その他がこれでもかと並んでいて、驚いてしばらく疲れが吹き飛びました。金剛力士像二体や阿修羅像が特に有名でしょうか、きわめつけの眼福でありました。最近の展示なので、ライティング(照明)も洗練されて、仏像がカッコよく見られます。
 
二時半頃、奈良を出て、帰途につきます。京奈道路からくるくるといろんな高速道路を経由して(分岐をカーナビがサポートし切れていなくて、ひやひやものの運転でした)、京滋バイパスから名神高速に入り、やっといつもの道、って感じで帰りました。滋賀県内の落ち着いた風景がよかったですね。夕方五時すぎ帰宅、二日間の総走行距離は 433.9 km。

*1:たぶん、他の「四神」はまだ復元が済んでいないのではないかと思います。(後記。これはまちがっていて、すべて順番に公開されているようです。)

*2:調べてみると、1965年竣工で、ずっと昔からあるんですね。無知でした。設計者は片山光生。