こともなし

晴。
昨晩は(も?)夜ふかし。中沢さんを読んで寝た。
 
市役所へ申告書類を郵送する。
木蓮の蕾がふくらんできたな。
 
 
いとうせいこうの「夢七日」という小説を読む。このところ小説を読む気があまり起きないのだが、これはなかなかおもしろかった。「私」の生徒である「君」が、事故での長期の昏睡状態で見ている夢を描いた小説である。詳しくは書かないが、この時点で既に矛盾がある、つまり「私」がどうして「君」の夢の中身を知ることができるのか。さらに、「私」はその夢に、干渉さえしているらしい。しかしまあ、そのあたりを問題にするつもりはない。おもしろかったのは、「君」の夢が階層性になっていること。いや、リアリティの複数性、階層性が、夢として現れているのがおもしろかった。例えば、歯医者へいっている自分、本を読んでいる自分、政治を意識している自分、恋人といる自分、それらは同じ自分でありながら、どこまで関連しているのか。自分とは何なのか、自分とはどこにあるのか、それとも統一された自分などは果たして存在するのか。それが、映画を観るように、夢の中でほとんど支離滅裂に展開されていく。
 わたしはこのところ寝ているとき、あまり夢を見ている感じがしないし、目覚めてもほとんど覚えていない。表象と意識の深層の関係を考えても、まだはっきりとわかった感じがしない。ただ、心には「物質的部分」があって、糞づまりになっているそれを解体し、心の純粋な部分をあらわにする必要がある。そうしていくうち、世界のすべては互いに関係があることがわかってくる。

 

 
外は明るくていい天気。風はまだ少し冷たいけれど、春は近い。

 
図書館。邵丹(ショウタン)という若い中国人研究者の、『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』という研究書、乃至は批評書が力作ぽくって、借りてみる。藤本和子村上春樹などを対象にしているらしい。それからテキトーに小説で、平野啓一郎さんの『空白を満たしなさい』を借りる。平野さんなんかは図書館に主要小説が揃っていていいと思うのだけれど、ここにはあまりない。あと、何か軽いエッセイでもと思ったけれど、何も借りず。ウチにある須賀敦子さんでも、読み返してみようかな(軽いエッセイじゃないかもだけれど)。
 
餅信に寄ってよくばり大福と草餅を買う。帰ってからよくばり大福を、日本茶でいただく。おいしい。
 
 
上林暁の文庫版随筆選を読み始めたのだが、これは読めないと嘆息した。わたしは上林のような真面目な文学者を disるつもりは毛頭ないので、ただ上林の文章が出てくる場所が、わたしにあっては既に壊れてしまっているのだ。また上林暁が読める日が、わたしに来るのだろうか。
 
NML で音楽を聴く。■シューマンのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.105 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ピアノはマルタ・アルゲリッチNML)。アルゲリッチが突っ走っていて、第一楽章と第二楽章はよく合った演奏とはいえない。バランスがよくない。しかし、終楽章は突っ走るアルゲリッチにカピュソンが反応して、ちょっとすごいものになっている。しかしアルゲリッチ、もう何歳ですか。何か若い頃とあんまり変わっていない傍若無人ぶりだな。たぶんライブ録音で、そうであるがゆえに残った演奏だろう。この曲の、クレーメルとのかつての録音は名演といっていいだろう。わたしはこれで、この曲が大好きになったのだった。 
夜。
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早寝。