高橋英夫『わが林達夫』

晴。溽暑。
 
午前中、県営プール。ほとんどの日が団体使用で休みの中、わずかな一般開放日を捉えて行く。まあ、県の施設だから仕方がないよね。
帰りにスーパー。買い忘れを拾う。
 
 
昼から県図書館。「新潮」誌の中沢さんの連載「精神の考古学」第9回を読む。幸福な時間。武満さんの文章が引かれており、短いながらも武満さんの音楽のゾクチェン的説明があって、うれしくなる。やはり、武満さんの音楽は心の本性に近いところから発してくるのだ。いや、心の本性をゆがめないように、とでもいうべきか。原音楽というもの。
 坂本龍一さんへの聞き書きも読む。中沢さんの文章を読んでこれを読むと、随分貧しいものと感じざるを得ないが、それでもこの坂本さんの世界だって、我々よりは遥かに、比較にならず豊かなのだ。「貧しい」「豊か」まったく曖昧な言葉だから、こんなことをいったって伝わらないのは明らかだが。あるいは沈黙すべきかも知れないけれども、完全に沈黙すればますます世界は単純になってしまう。
 「ユリイカ」誌のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ特集、アレクシエーヴィチへのインタビューのみ読む。
 帰りは運転しながら、ここ数日間感じ続けている、何か苛立たしい感情を転がしていた。いったい、何が苛立たしいのか。行きも帰りも、グレン・グールドの弾くイギリス組曲を聴く。
 
 
バッハのオーボエ・ダモーレ協奏曲 BWV1053a
かかりつけ医。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十一番 K.467 で、ピアノと指揮はゲザ・アンダ、カメラータ・ザルツブルクNMLCD)。■バッハのオーボエ・ダモーレ協奏曲 BWV1055 で、オーボエ・ダモーレはブルース・ヘインズ、演奏はダ・ソナール(NML)。

 
夜。
図書館から借りてきた、高橋英夫『わが林達夫』読了。林達夫、か。書物の人だった。わたしも長いこと、書物の人になりたかったのだと思う。その意味で、林達夫に憧れたところがあるな。いまはそうではない。いまは、林達夫の複雑さを思う。林達夫の全業績が古びても(確かに林達夫も古びてしまった)、彼の複雑さは滅びないばかりか、これからも光を放っていくにちがいないし、またそうでなくてはならない。県図書館にも「高橋英夫著作集」は入らないようだな。そうそう、「山口昌男著作集」は入っているから、さて、読むかどうしようか。山口昌男は文庫本でそれなりに読んだ。