こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ ロ短調 BWV1030 で、フルートはウィルベルト・ハーゼルゼット、チェンバロはヘンク・ボウマン(NMLCD)。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第十四番 K.457 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNML)。辛口のピアノでびっくりした。いつ頃の演奏なのだろうか。

武満徹の「雨の樹 素描」、甲斐説宗の「ピアノのための音楽 I」で、ピアノは井上郷子(NML)。

Japan Piano 1996

Japan Piano 1996

ブーレーズのピアノ・ソナタ第一番で、ピアノはピ=シェン・チェン(NMLCD)。これはなかなかのピアニストだ。もう少し聴いてみたいところである。


オカタケさんのウェブ連載、更新。わたしが好きなのはこういう文章なのである。木下杢太郎が読んでみたくなったが、この岩波文庫はたぶんもっていない気がする。店頭で迷って買わなかったように覚えているから。買っておけばよかったな。
https://www.shunyodo.co.jp/blog/2020/04/okatake_24/
わたしは木下杢太郎というと、林達夫の文章を思い出す。『歴史の暮方』所収の「反語的精神」である。ここでは木下杢太郎は話のマクラなのだけれど。林達夫は骨の髄までエリート知識人であった。なのに、(それゆえ?)「反語的精神」というのがおもしろい。そういう知識人が、現在どれだけ存在するのであろうか。

自由を愛する精神にとって、反語ほど魅力のあるものがまたとありましょうか。何が自由だといって、敵対者の演技を演ずるほど、一つのことを欲しながら、それと正反対のことをなしうるほど自由なことはない。自由なる反語家は柔軟に屈伸し、しかも抵抗的に頑として自らを持ち耐える。真剣さのもつ融通の利かぬ硬直に陥らず、さりとて臆病な順応主義の示す軟弱にも堕さない。

わたしのごときクズがいうことではないが、かなりイイ線をいっている。しかし、敢ていえば「反語的精神」と言うことすら煩わしい。でもたぶん林達夫はそれもわかっていて、これも敢て言っただけのことでしょう。晩年の長い沈黙が、それを証しているように思われる。

スーパー。マスクをしていない人がちらほらいるので、なかなか大胆だなあとつい思ってしまう。怖くないのかなという気がするのだが、まあマスクがないのかも知れないし。感染者数は各務原市が七名、岐阜市が三十名となった。市の防災無線では、毎日注意を喚起している。

昼過ぎ、ごろごろ。

散歩。

ウチの花蘇芳(ハナズオウ)。

ウチのヤマブキ。


ツバメ。