宇野重規『民主主義のつくり方』

曇。

午前中、何をしたっけ。何かぼーっとしてた。

昼食後、新しい冷蔵庫がやって来た。前より小さいので、ビン類など、収納するのに少し考えねばならなかった。


ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー429円。宇野重規『民主主義のつくり方』を読み始める。第三章まで読了。とてもいい本だ。よく整理されていて、わたしのような社会科学に不案内な人間にもじつにわかりやすい。のに、中身は根底的で高度だ。ルソー的な民主主義に耐用期限がきていて、さあ、どうしたらよいのでしょうという問題を扱っている。本書はそれを、プラグマティズムを根底にした民主主義を考えてみてはどうだろう、としているわけだ。プラグマティズムアメリカ的な哲学だから、ヨーロッパ由来ではなく、アメリカ流の民主主義ということになるのかも知れない。そして本書には、功利主義を、あまり根底として使いたくない、という傾向が見られる。「経済学化する政治」については、ロールズが検討されているが、著者はあんまり好きではないようで、でも仕方がない、というところか。さらに進んで、最近の傾向である「工学化あるいは経済学化する政治」「技術論としての政治」まで踏み込むとよかったのかも知れないが、そこは自制(?)してある。
 第三章「習慣の力」で、まさに「習慣」と政治について論じられていて、これは独創的な感じがする。ふつう、「習慣」という個人的なものと政治というのは、結び付きにくいよね。さて、この章を読んでいて、わたしは「習慣」というのはあまり好きではないなと思った。「習慣」=生の自動化*1で、わたしはむしろ「反復」について最近よく考える。わたしにとって、「反復」とは自動化されてはならないものであり、人生はまさに「反復」そのものだと思うのだ。「反復」は毎日同じことをやっていても、その都度新しい一日なのである、理想的には。「習慣」は、生の希薄化だ。例えば、ご飯を食べるのは、「習慣」であってはならないとわたしは考える。

大学生だったら是非読んでもらいたいし、意欲的な高校生なら読める好著だ。
 ところで、わたしは、「個人の幸福を最大化する」という工学乃至経済学的発想にまったくなじめない、古くさい人間、あるいは変人だなあと思う。人間は、それよりもう少し複雑であるべきだと思っている。

ウチのクチナシの花。
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図書館から借りてきた、宇野重規『民主主義のつくり方』(2013)読了。本書は希望のための書であり、第四章と「おわりに」は強くそれを感じさせる。例えばオバマ大統領がその象徴的な存在として描かれているが、いまの我々はそのオバマ大統領の失敗と、その後のトランプ政権(2017-2021)を知っていたりする。そして、日本という国の国際的地位は、本書後、経済的・学術的にはっきりと転落したことが明らかとなった。まあ、それは措くとしても、少なくともわたし個人は、現在のどこに個人の希望があるのか、よくわからない。著者が、いまの(集団的)希望をどこに見出しているのか、知りたいところである。民主主義こそが、現在の希望でもあるというのだろうか。第四章の田舎の「町おこし」? わたしは、民主主義にもかかわらず、云々といいたいところであるが、悲観的なことを書くのはよくないよね、それは。
 いずれにせよ、本書はとてもおもしろかった。わたしと同世代の著者には、敬意を表したい。

夜。
狼と香辛料II』第6話まで観る。いや、これ、むちゃむちゃいいわ。好きだなあ、こういうの。商売の話と、勝手にやってろ話が一緒になってるとは、独創的ですね。ホロのデレに悶えるおっさん笑。

*1:著者は、それ以上のものを「習慣」という語に見ている。メンタル・トレーニングなど、行動・思考の準備といったものも含み、未来へ向けた、変更可能なものであると。しかし、いずれにせよ生の自動化という側面を無視できるものではないと思う。確かに予めの準備は大事だ。しかし予めの準備は、結局、想定外の状況には役に立たない。世界の偶然性は、どこまで準備をしてもすべて予め対応することはできないのである。そして、敢ていえば、それこそが人生なのだ。
 さらにいえば、世界の偶然性(可能性)をできるだけ減らそうというのが、現在進行する、リスク管理社会である。著者のいう「習慣」は、まさにリスク管理社会にふさわしい。無限の世界を、有限化しようとする絶望。