男性の根源的な暴力性

晴。

スーパー。

長時間、昼寝。寝ていて汗かいた。

頭がぽわーっとしている。そのうちボケるのではないか。
TSUTAYA に行ってくる。いい天気なのに、部屋に逼塞しているなあ、と。いけませんねえ。でもって、行くのは TSUTAYA かよっていう。
車でモーツァルトを聴いていて、モーツァルトは頭からっぽの人だったのかもなあと思った。でなきゃ、こんな自由な音楽は書けない。


ツイッターフェミニストをフォローするようになって、自分のタイムラインにフェミニズムが横行するようになってきた。で、突然ながら思うが、男性には(あるいは少なくとも自分には)「根源的な暴力性」みたいなのがあるような気がする。フェミニズムも含めて、現代の知性は、その「男性の根源的な暴力性」を決して容認せず、去勢するべきという風潮にあるのだな。まあ、当然といえば、当然だろう。

わたしは生や意志そのものに暴力性があるように思われるが、そこまでいくとちょっとちがう話かも知れない。いや、ほんとにそうか? この意味での「暴力性」とはなにか、突き詰める必要があるように思われる。

例えば、議論ということ自体、暴力的だ。これは誰にもわかることだろう。
マウントを取りたがるというのも、暴力そのもの。我々は、自虐してすらマウントをとって、他人に暴力をふるいたいのだ。
いつも書いていることだが、コミュニケーションは侵襲であるがゆえに、暴力である。

夜。
Re:ゼロから始める異世界生活2』第15話まで観る。このままだと徹夜する勢いなので、いいかげんにします笑。