こともなし

曇。涼しい。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏チェロ組曲第三番 BWV1009 で、チェロはピーター・ウィスペルウェイNMLCD)。■モーツァルトのピアノ協奏曲第十四番 K.449 で、ピアノと指揮はゲザ・アンダ、カメラータ・ザルツブルクNMLCD)。


昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー429円。『武満徹著作集3』の続き。このところ中断していたが、ゆたさんが読んでおられたのでひさしぶりに続きを読む。まずは、感受性が洗われる感じ。自分の感受性がいかに汚染され切っているか、痛感する。それは絶望的なほどだ。武満さんの文章は、汚れを切り裂き、わたしの心の深い部分に鍬を打ち込む。
 いつもながらの感想であるが、武満さんは才能なんてものを超えているところがすばらしい。いまの世の中、才能なんてのは溢れていて、ありふれている。何というか、「天才」ばかり洪水のように氾濫していて、我々の感受性を汚染する。我々はまず、才能を解体し続けることが第一歩である。そうしなければ精神のマニピュレイトから脱却することはできず、魂を取り戻すことができない。これが、我々の絶望なのだ。安易に希望をもってはならないのである。

「才能を解体し続ける」というのはすごい苦痛で、我々は自業自得というか、自縄自縛というか。まさに魂の失われた、世も末である。

言葉によって沈黙するということ。言葉があまりに氾濫している。

ベートーヴェンのバガテル集

夜。
河合隼雄先生の仰る「女性原理」っていうのは、これからの時代、どうなるのかな。「女性原理」は数千年、あるいは数万年という長きに亘って育まれてきたものであり、もちろんフェミニズムジェンダー学の敵視すべき概念であるが、我々の心の非常に深いところに根差しており、そう簡単になくなってしまうようなものではない。しかしこれから、フェミニズム、あるいは理性一般によって「女性原理」が抑圧されていくこともまたまちがいがない。それはいってみれば、「深くて冥い大地の殺害」である。我々の心が論理化、啓蒙化、合理化され、管理されていくことは既に始まっている。そして豊饒さを失っていく、などといえば、紋切り型すぎるかも知れない。いずれにせよ、人類の創造性は失われつつある、って、主語が大きすぎるな笑。まあ、そんなことを考えるには、わたしなどでは能力不足だ。ただ、自分の内なる「女性原理」のあり方に、注意深くありたいものである。


『変女 〜変な女子高生 甘栗千子〜』を読む。淡々と変態的な女子高生がヒロインの、ちょっとエロいラブコメマンガで、こういうのは好きだ。思わず笑ってしまう。作者は女性なんだな。