渡辺靖『リバタリアニズム』

晴。いい天気。

肉屋。豚ヒレ肉を買ってきました。

ネッツトヨタの営業の人に連絡を取る。カーナビの地図データ更新の件。


昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。ブレンドコーヒー275円。『コレクション瀧口修造3』の続き。瀧口修造シュルレアリストであるといわれるが、そんなレッテルでいいのか。瀧口は何者でもないし、極少数のための人だという印象が拭えない。もし瀧口がシュルレアリストに過ぎないとすれば、わたしはシュルレアリスムというものを誤解していたことになるだろう。まあ、そんなことはどうでもいいのだが。

瀧口修造を読むと、大部分の本や音楽その他が汚いもののように思えてきて、困るといえば困る。

渡辺靖リバタリアニズム』読了。実際は「再読了」で、本書は二年前に読んでいるが、そのこと自体、まったく覚えていなかった。あとがきを見て、何か既視感があるなと気づいた次第である。二年前の感想を読んでみたら、じつに下らないというか、自分で共感できなかった。いま読んでみて、自分の中で本書の言葉がホワイトノイズ化しているのを感じる。言葉の意味、シニフィエが失われているわたくし。空無。

とにかく、同じ本を買い直してしまったことになるよ笑。

夜。
吉本隆明全集16』を読む。吉本隆明は事大主義者だといった人がいたが、わたしは吉本さんを読んでいて、震えるように繊細なものを感じる。繊細すぎて、反射的に遠くへ飛んでしまうところが、確かにわかりにくいが。遠くに散らばっているものたちが繊細に震えるとき、それらを同一のパースペクティブに収めようとするのが、わかりにくいと言ってもよい。そういう仕方が個人的であることもあれば、普遍性をもっていることもあるが、いずれにせよ、吉本さんのやり方は変わらないのだ。吉本さんは、詩と思想の相同性を類稀れなやり方で体現している。