よしもとばなな『すばらしい日々』

日曜日。晴。
寝すぎ。
午前中は睡眠の後始末。未熟者。
市議会議員選挙の投票に行く。

図書館から借りてきた、よしもとばなな『すばらしい日々』読了。母から廻してもらった本。本書の題名ではないが、ホントにすばらしいエッセイ集だ。僕はばななさんはよく知らず、どうしてもお父さんの吉本隆明のことを思い出さずにはいられないのだが、それはただ吉本さんがばななさんの父親であるゆえだけではない。ばななさんもそのお姉さんも、表現者として吉本さんが父親であったことと関係があると思っている。それは同時代への感性と、「ピュアさ」のようなものであると思う。そして、二人とも何と父親(そして母親)を愛していることか。気恥ずかしいような言葉だが、そう言うしかない。僕が吉本さんを同時代的に読むようになったのは学生の頃、もう二〇年以上前のことであるが、もちろん吉本さんを知識人として読んでいた。で、吉本さんが色んな人たちに「罵倒」の言葉を投げかけているのを目の当たりにして、あんなことは言わない方がいいのになと思っていた。まあちょっと引いていたのだが、それから一冊一冊と吉本さんの本を読んでいって、たいぶ印象が変ったと思う。あの「罵倒」は、それなりに自分でどういうことかわかってきて、そして吉本さんのファンみたいなものになっていった。それと自分の中では関係しているのだが、ちょっと前の東浩紀さんの雑誌に浅田彰さんへの長文インタビューが載っていて、その中に吉本さんへの言及があったのを思い出す。浅田彰さんは吉本さんの「罵倒」を受けた方であり、また「吉本隆明を評価しない」とこれまで何度も発言されていたわけで、そこでもその評価にまったく変化はなかったが、「吉本隆明のことはどうしても嫌いになれない」とあったのが非常に印象的だった。浅田さんがどういう意味で仰ったのかわからないが、あの率直な浅田さんのことだから、その言葉は信用できる。それが何ともおもしろかった。これについてはこれ以上書くまい。
 本書でもばななさんの既に亡くなっている御両親の話がところどころに出てくるが、すばらしい家族だったのだなと思わざるを得ない。

すばらしい日々

すばらしい日々

ばななさんだが、僕は本当に読んでいない。しかし、まあすらすらよどみなく読める文章であるが、ある種の感受性が深すぎて僕にはちょっとしんどいところもある。徹底的にシンプルだけれど、誰にでも書けるようなものの対極にあることはまちがいない。