飛騨古川家族旅行

以前から飛騨古川には行ってみたかったので、いま紅葉もいちばんよい時であり、思い切って家族で行ってきた。飛騨古川は高山よりももっと北の、小さな町である。

朝八時ちょうどに出発、いつもの岐阜各務原ICから、今日は東海北陸自動車道を一路北へ。中間点くらいのひるがの高原SAで休憩する。下はサービスエリアから見えた白山で、既に雪を頂いていた。

ひるがの高原SAを過ぎたあたりから紅葉がすばらしい。運転していたので写真はないけれども、高速道路は山深いところを通っているので、たぶんせせらぎ街道の紅葉よりも見事だと思う。山の国の大パノラマが見られる。

飛騨清見ICで降りてそのまま中部縦貫自動車道へ。高山ICで国道41号に接続し、途中で東に折れて、最初の目的地、安国寺へ。ここには国宝の「経蔵」があり、拝観には予約が必要である。知的な感じのする若いお庫裡さん(だと思う)が、丁寧に解説して下さり、とてもよい印象を受けた。
 安国寺は南北朝期の動乱で多数の戦死者が出たのを弔うため、足利尊氏と直義が全国に建立せしめた寺であり、ここは飛騨の安国寺ということになる。臨済宗妙心寺派。お庫裡さんの説明だと、もともと別のお寺だったそうだが、安国寺に指定されたということらしい。最盛期は七堂伽藍と九つの塔頭を擁する大きな寺院だったけれども、戦国期に戦乱によって、(現在国宝である)経蔵を除いて焼失したという*1。御本尊は釈迦如来であり、二体の脇侍があって、これらは十四世紀の作だそう。



本堂。



上が国宝の経蔵。1408年の建築であるという。ちなみに岐阜県にはこれを含め、国宝は四つしかない。写真は撮れなかったのだが、内部には日本最古といわれる「輪蔵」があり、これは回転式の経蔵で、ここに一切経を収め、回転させるだけで一切経を読んだだけの功徳があるというもの。一切経は、実際にここの僧が中国に渡り、招来したものであるという(これ自体はそれほど貴重なものではないそうだが、驚きだ)。輪蔵がいまでも音なく回転することを、実際に試させてもらえた。あとは、江戸時代の参拝者の名前の「落書き」があったのだが、これは当時としては悪いことではなかったそうである。お庫裡さんにいろいろ詳しい解説をしてもらえて、じつによかった。

開山堂。いま調べるまで知らなかったのだが、重文の瑞巌和尚坐像がここにあるらしい。瑞巌和尚は十四世紀半ばにこの寺を開いた。


寺からの風景。


寺から降りていったところに、遠く雪山が見えた。乗鞍岳


そこから少し北の、飛騨古川へ。駅裏の無料駐車場に駐めて、町を歩く。こぢんまりとした町で、一時間もあればざっと廻れてしまうほどだ。アニメ映画「君の名は。」の飛騨の町のモデルになっていることで、若い人なら知っているかも知れない。また、武満さんが気に入り、深い関係をもった町でもある。

飛騨古川駅ホーム。

JR飛騨古川駅。小さな無人駅だ。駅前の観光案内所で、町の観光マップをもらう。

ふつうの路地が、こんな感じである。

地元のテレビにもよく出てくる、瀬戸川と白壁土蔵の通り。ここには何度も戻ってくることになる。

有名な和ろうそくのお店。その先の蕪水亭OHAKOで昼食を摂る。わたしはオムライスをいただきました。


荒城川。

山鉾が収められている。

以下、また瀬戸川と白壁土蔵の通り。

冬を前に瀬戸川の鯉を移動させるのは、毎年地元NHK局が報道する風物詩。まだ鯉はいました。



右は円光寺。渡辺酒造の米麹の匂いがただよってくる。


円光寺。


渡辺酒造。「蓬莱」というお酒で有名な蔵元である。杉玉が新しくなっているとおり、中で訊いてみたところ、今月一日に搾りたてほやほやの新酒が出来ていた。老父母が試飲。新酒とにごり酒の四合瓶を購入する。

古川の町は観光地といえばそうなのだが、まだ人のふつうの生活が生き残っていて、作り物の高山とかよりもわたしにはずっとよかった。写真ももっと載せたいくらいなのだけれど。ほんといい町で、大満足でした。これは古川にはよくないことかも知れないが、観光客も少なく、落ち着いて廻れた。って、こちらも観光客なんだけれどね。

次は、円空仏で知られている千光寺へ。円空仏は寺宝館で見られるらしいが、予約が必要ということを現地で知り、あきらめる。しかし、高所から見た山の景色はすばらしかった。


乗鞍岳二枚。

御嶽山

あとは行きの逆を南下して(帰りも、高速道路から見る紅葉といったら!)、夕方四時半頃帰宅。夕食に古川の渡辺酒造で買い求めた新酒を飲んだところ、フルーティでワインのように飲んでしまった。ああもう、最高の一日。

*1:後記。焼失を免れたのは経蔵だけだと思っていたら、開山堂もそうらしい。訂正しておく。