こともなし

曇。

Linux Firefox で NML を聴こうとすると自動ログアウトしてしまって聴けない。仕方がないので NML だけ Chrome を使っている。
NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ 第一番 BWV870 - 第八番 BWV877 で、チェンバロスコット・ロスNMLCD)。
 
ノーマン・ブラウンの『エロスとタナトス』落掌。いまでは忘れられた学術書(?)だと思うが、種村さんを読んで古書で買ってしまった。好事(こうず)趣味というやつである。ノーマン・ブラウンは特異な精神分析学者で、澁澤も何度も言及していた筈だ。訳者は秋山さと子さん。この人はユンギアンだが、それに留まらないおもしろい本をいろいろと訳しておられるな。

 
ドビュッシーの「シャルル・ドルレアンの三つの歌」、ミヨーの「ヴィーナスの誕生」 op.292、プーランクの「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」、メシアンの「おお、聖なる饗宴」で、指揮はマーカス・クリード、南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル(NMLCD)。これ、すばらしい合唱アルバムだな。■フォーレのチェロ・ソナタ第一番 op.109 で、チェロはポール・トルトゥリエ、ピアノはエリック・ハイドシェックNML)。

■バッハの管弦楽組曲第一番 BWV1066 で、指揮はラース・ウルリク・モルテンセン、コンチェルト・コペンハーゲンNML)。 

珈琲工房ひぐち北一色店。オーウェルの『葉蘭をそよがせよ』という小説を読み始める。第三章まで読んだが、なんとも陰鬱な出だしだ。中産階級出身の主人公・ゴードンは自称詩人で、小さな誰も知らない詩集を一冊出版した過去がある。いまは、うらぶれた古書店の店員として働いている。その前の仕事は化粧品のコピーライターで、なかなか才能があったのだが、そんなものにはなりたくなかったので、辞めてしまったのだ。自分をインテリだと思っているので、プライドが許さなかったわけである。お金はまるでなく、日々の食事代にもこと欠く有り様で、そんな中で大作の詩を書こうとしているのだが、自分に詩人としての才能がないことにもはやほとんど気づかざるを得なくなっている。お金があれば、インスピレーションも湧くのに!――ここまでは、そんな感じだ。まったく陰々滅々たる話で、さてオーウェルはここからどうしたいのか、興味がもたれる。「何者かになりたい」というのは、多くの若い人(に限らないが)を苦しめている問題だが、ここにあるのはまさしくそれだ。
 名誉欲とか自負心とか自尊心から自由になることは、きわめてむずかしい。「自由になる」とは、名誉欲や自負心、自尊心を感じないということではなく、それらに苦しめられないということだ。他の多くの煩悩から自由になった人こそ、まさにそれに苦しむことになる。他人から一切認めてもらえないで、苦しまずに生きていけるのか、ということだ。

 
肉屋。マックスバリュ
かんかん照りになって、肌が痛いくらい。33℃。村なかをトンボがたくさん飛び回っている。空は青く、世界が美しい。


日没前、散歩。蒸し暑い。


ママコノシリヌグイ





ヒメジョオン


エビスグサ。

ニラ。




 

夜。
若い人たちが聴いているような(たぶんだけど)曲を You Tube のリコメンドでテキトーに聴いているのだが、絶望的というか無力感というか、そういう曲が多すぎるのですけれど。そういう曲を聴いているから、また同じような曲ばかり集まってくるのかも知れないが。たまたま今日聴いたのでも、「奴隷じゃないなら何ですか?」とか「アンコール」とか。毎日こんなのを聴いているわたくし。
逆の、全能感の曲も多いけどな。無力感の裏返しって感じがする。どちらも根は同じように思える。

この素晴らしい世界に祝福を!2』第2話まで見る。