晴。
NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第三番 BWV1048 で、指揮はベンジャミン・ブリテン、 イギリス室内管弦楽団(NML、CD)。■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第一番 op.18-1 で、演奏はヴェーグ四重奏団(NML、CD)。よい。ヴェーグQには驚かされるな。古くさいのだけれども古くさくないという。■武満徹の「精霊の庭」で、指揮はマリン・オールソップ、ボーンマス交響楽団(NML)。
武満徹:鳥は星形の庭に降りる/3つの映画音楽/精霊の庭/ソリチュード・ソノール 他
- アーティスト:ボーンマス交響楽団
- 発売日: 2006/06/01
- メディア: CD
- アーティスト:児玉桃
- 発売日: 2017/03/08
- メディア: CD
昼食は焼きうどんを作って食う。
珈琲工房ひぐち北一色店。図書館から借りてきた、ジョージ・オーウェル『水晶の精神』読了。エッセイ集。オーウェルは政治的な人であり、わたしは別に政治的人間ではないが、それにしても驚かされる。いまは我々のような一般人がなべて政治的な意見を持たざるを得ない時代であるが、特にいまのような時代こそ、オーウェルのような曇りない、柔軟な精神が参考になる。オーウェルほど、党派的な偏狭から遠い政治的な人間は、いまにあっても稀である。また、オーウェルはいまの知識人によくあるような、シニックな冷笑的態度も取らない。わたしは知識人でないけれども、オーウェルを読んでいると自分の態度が恥ずかしくなってくるところがある。
もちろんオーウェルは全能者ではないから、時代的限界がないわけではないけれど、それでも公平に見て、ここまで時代的な制約を突破するというのは驚異的ではないか。オーウェルは何か普遍的なものを掴んでいるのであるが、わたしはそれをうまく言語化することができない。本書解説の関曠野氏(わたしの全然知らない人だ)は文学的な見地からオーウェルにおける「人間らしさ」ということを言っているが、このような手垢に塗れた用語はオーウェルにはあまり使いたくないところである。ついでに言っておくと、この解説ではオーウェルが文学者であることを極端に重視しており、一方でオーウェルにおける政治性を低く評価しているが、わたしはこのような態度はオーウェルの真価を見失わせるものであると思う。オーウェルがまず第一に文学者であったのは確かだが、オーウェル自身が、政治的な意図のない自分の文章はいまひとつだ、気に食わないというようなことを書いていた筈だ。政治とよき文学というものの相性がきわめて悪いという事実に対し、オーウェルはひとつの優れた応答をしてみせたのだとわたしは思う。それゆえに、小説に劣らず、いやそれ以上に、オーウェルのエッセイ(評論といってもいいけれど)が重要であると考えられるのだ。
オーウェルの文学者たるところは、彼の散文の質の高さにあらわれているともわたしは思う。決していわゆる「文学的な」文体ではないが、透明でクリアな、上質なそれだ。政治について語りながら、きわめて静かな印象が与えられる。彼の射程の長い洞察力は、その散文の質と不可分であった筈である。
- 作者:ジョージ オーウェル
- 発売日: 1995/06/01
- メディア: 文庫
夜。
『ゼロの使い魔 双月の騎士』第6話まで見る。