こともなし

日曜日。雨。
長時間眠る。幸せなそれも含め、夢をいろいろ見る。

起きて長いことぼーっとする。

スーパー。このところずっと卵が高い。M10個で200円くらいする。

昼から曇。図書館。ドラッグストア。

提灯をもって、歩いてひとりで墓参り。老父母は数日前に、仏花をもってお参りしている。
仏花の水を替えて、提灯に蝋燭を立てて火をつけようとするも、ライターがガス欠。ウチで確かめたときは火がついたのに、ちょうどなくなったらしい。形だけ提灯を飾って、数珠をもって手を合わせる。残りの水を墓石にかけてやる。
お堂の前に提灯をぶら下げようとしたら、何故かここでだけは火がついた。同じく手を合わせてから、帰る。

RubyAtCoder

ある場所で村上春樹からのこんな引用を読んだ。

彼らは日本という密閉された組織の中で、名もなき消耗品として、きわめて効率悪く殺されていったのだ。そしてこの「効率の悪さ」を、あるいは非合理性というものを、我々はアジア性と呼ぶことができるかもしれない(「ノモンハンの鉄の墓場」)。

https://kaikaji.hatenablog.com/entry/2021/08/15/155059

非合理性をアジア性と呼ぶのもいいけれど(ここでのアジアは明らかに蔑称である)、むしろ合理性を「西洋近代性」(?)と呼び替えてもいいのではないか。徹底した合理性もまたひとつの「狂気」であり、それが「アジア的非合理性」を浮上させ、照明したのである。我々にはここでいう合理性も「アジア的非合理性」も、じつは共に必要なのである。すべてが論理的合理性の光の中に解消されてしまえば、そこではもはや人間性、あるいはまともさは消滅するだろう。例えば我々はいま合理性を使って、いかに効率よく人を殺すか、敵を圧倒するかという兵器開発に邁進している。それは当然のこととして肯定されており、そこから引き返すことは既にほとんど不可能になっている。

夜。
この素晴らしい世界に祝福を!』第7話まで見る。