アニミズムの重要性 / 雨宮処凛『コロナ禍、貧困の記録』

日曜日。曇。

アニミズムの重要性。アニミズムはとてつもなく古い感性だが、人類が自然との繋がりを保っていく上で、現在・未来と必須のそれでもある。しかし、現在、都会においてアニミズムを涵養することがとてもむずかしいことは、想像できる。わたしはかなりアニミスティックな人間だが、それはわりと最近になって開発されてきたものだ。田舎者の功徳。もっとも、田舎者であれば直ちにアニミスティックたりうるかというと、もちろんそんなことはない。田舎者でも、アニミズムの回路をもっていない人間がたくさんいるのは、想像できる。
 いかにしてアニミズムを涵養するか? 特効薬はちょっと思いつかない。ただ、日本人はわりとアニミスティックな人が多そうな感じはする。古代的なものがまだ残っている日本。神道アニミズムの宗教だが、神道は死に切ってはいないだろう。もっとも、アニミズムは「宗教」というよりは、その前段階だ。
 アニミズムは最新の科学と共存できないことはないと思う。しかし、タワーマンションなどで育った子供が、アニミスティックであることはむずかしいかも知れない。いや、わからないが。知識人も、アニミスティックたるのはむずかしかろう。むしろアニミズムの古さを嘲笑し、その非合理性を非難するかも知れない。愚かしいことである。
 アニミズムは記号の奥にある。記号しか見えていない現代人が、かそけき気配を感知し得ないのも無理はない。記号の間、記号の奥にあるもの。

我々は心をコントロールすることはできない。心は機械的に必然様に動くから。
他者はもちろん我々がコントロールすることはできず、徹底的に偶然様である。ゆえに我々は心をコントロールすることはできない。

我々の自由は状況と一体化した立体的かつ連続な選択においてある。俗に「ゾーンに入る」という言い方があるが、それは自由に近い。

図書館から借りてきた、雨宮処凛『コロナ禍、貧困の記録』読了。副題「2020年、この国の底が抜けた」。承前。いまの日本は災害対応など、おせっかいなほど過剰に命を大事にするように見える一方、それは建前に過ぎず、人の命が極軽いところがある。人の命が差別され、選別されている。これでは我々は、まったく偽善者という他ない。(自分も含めて)日本人も堕ちたものだと思う。いかにして命(アニマ)を感知するか。また、我々一般人は、政治とどう向き合うべきなのか。

我々は心の土台がしっかりしていないのに、かしこくなりすぎたな。感情が幼稚に過ぎる。ネットを見ているとよくわかる。


NML で音楽を聴く。■グラズノフのピアノ・ソナタ第一番 op.74 で、ピアノはニコライ・メドベージェフ(NML)。

ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲第二番 op.67 で、演奏はベラルティ・トリオ(NML)。力演。終楽章など、圧倒された。
Piano Trios

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ベートーヴェン弦楽四重奏曲第九番 op.59-3 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NMLCD)。これは…。プラジャークQ はわたしごときが語っていい音楽家ではないことがわかった。こんなカルテットがあったとは。


夜。
U-NEXTで「シェルタリング・スカイ」(1990)を観る。ベルナルド・ベルトルッチ監督で、原作はポール・ボウルズ。映画館で観れば、映像はきれいだったかも知れない。しかし、あんまりこういうことはいいたくないけれど、全編オリエンタリズム全開じゃね? エキゾチシズムのつもりなのだろうが、ほとんど人種差別といわれても仕方がないと思う。ほんと2時間17分、苦痛だった。