宇野重規『保守主義とは何か』

祝日(秋分の日)。晴。

ドリアン助川さんの『線量計奥の細道』の最終地点、大垣に着いて、ふと「奥の細道むすびの地記念館」なるミュージアムに入ってみる話がある。映像コーナーに立ち寄り、奥の細道の3D映像を見てみて、自分が旅してきた脳裏にあるものより、ずっときれいな景色がそこに写っていて、ドリアンさんがちょっと肩を落としてシアターを出てくるというエピソード(p.314-316)なのだが、まさにこれなのだ。へんな話、例えば写真共有サイトに人気画像として陳列せられているものたちも、我々がふつう体験するより遥に美しいそれになっている。これはいまの時代、我々がごく当り前に、ほとんど無意識として体験していることであるが、我々の生にじつは深く関係している現実であるといってよいだろう。

いまのアニメやゲームのフィクションの強度もまた、わたしのような後期おっさんには大変なものである。しかし生まれたときからこれが当り前な世代が、フィクションに合わせて外部世界を人工的に作り変えていくこともまた、特に驚くほどのことではないのかも知れない。都市の全面的な、蟻の這い出る隙もない、徹底した人工化と再構築。しかしそれは例えば田舎のイオンモールなどにおいて、もっとも巧妙に実現されている、という思いもないではない。

現代における物語は整流装置としての機能が第一義なのであるが、いわばそれを象徴界ではなく、現象論的に想像界において探求したい。でも、わたしには端的にそのための能力が足りない気がする。

今日は洗濯物が多くてちと疲れた。
スーパー。

昼食は冷やむぎ。

ごろごろしている。『大元帥 昭和天皇』の続きも読まないといけないし、ケンブリッジ・アナリティカ(って知ってる?)についての内部告発本も落掌しているので読まないといけないのだけれど、億劫。マンガを読むのはもっと億劫。なのでまたごろごろする。


図書館から借りてきた、宇野重規保守主義とは何か』読了。おもしろかった。著者のことは梶谷先生経由で読んでみようと思った。梶谷先生も著者もわたしの同世代の良質の学者であるといえる。つまり、バブル期に、わたしたちとはちがって、大学で真面目に勉強してきた人たちであり、わたしはそれだけでかかる良質な学者に敬意を抱きたくなる。わたしは本書のようなわかりやすい書物ですら、正確に理解できないほど勉強しておらず、恥ずかしいばかりだ。日暮れて道遠し。著者の本はもう少し読んでみたい。

 
夕飯は漬けておいた鮭を焼いたもの、冷ややっこ、市販の佃煮、昨日の残り物。


青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」第6話まで観る。
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