ドリアン助川『バカボンのパパと読む「老子」』

晴。
寝坊。

朝から「釘宮病三大感染源」のワードで検索してしまったり。ちなみにわたしはL型感染(笑)。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第四番 BWV828 で、チェンバロスコット・ロスNMLCD)。■リヒャルト・シュトラウスのピアノ四重奏曲 ハ短調 op.13 (NML)。

 
昼から肉屋。暑い。


ドリアン助川バカボンのパパと読む「老子」』一気に読了。ドリアン助川さんは、『線量計奥の細道』を読んで信用できる方だと思っていたが、本書もよい本だった。老子原文、読み下し文、著者による現代語訳の他に、バカボンのパパ語訳が付随しているというのが特徴である。とてもよい。
 テキトーに思うのだが、言葉で言い表さねばならないのだから仕方がないのだけれど、老子はつい TAO と名付けてしまったのだな。こう、名付けてしまうと、どうしても読む方は、名付けられた決まった対象があるものだと思ってしまう。TAO という語の指示対象、意味内容がわかれば、本書が解けると思ってしまいがちである。そしてついに、TAO という語が腐り、誰もマジメに省みなくなってしまうという末路を辿る。だからわたしなどはそうせず、敢て世界そのものだという。そして、我々は世界そのものを見ていない、我々が見ているのは記号にすぎないという。まあ、これはこれで問題があり、いずれにせよ語は腐る。もちろん、ドリアン助川さんはわかっているのだ、そのことは。だから、レレレのレーなのである。
 本書は10年前の本であり、わたしは「ブ」にて購入した。かつて話題になったと聞かない。たぶん、ゴミクズのような類書たちと同一視されて、まともに読まれなかったのだろう。残念だが、そういうものだ。そこに、TAO はあるのだろうか?

アマゾンレビューがたくさんあって、多くが「よかったです!」って言っているので、やっぱり皆さん通ずるところがあったのだ。そうでしょうそうでしょう。バカボンのパパ語訳だけ読んだって、いいのです。むずかしくも恥ずかしいことを書いているわたしは、まだまだですねえ。

夜。
ゆるキャン△』第2話まで見る。