祝日(敬老の日)。晴。
アニメっぽい夢を見る。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第五番 BWV816 で、ハープはクリスティアーナ・パッセリーニ(NML、CD)。すばらしい曲。
今日は洗濯も買い物もないので、朝からずっとごろごろ、何にもしていない、至福の時間である。切れ切れにふと気まぐれな想念が浮かんだりするが、それらはここには書かない。昼飯の準備に取り掛かるまで、あとしばらく怠惰にころがっているつもり。(AM10:34)
昼食はキャベツのカレー炒め、市販の佃煮、インスタントみそ汁。キャベツのカレー炒めはちょっと味が薄かったな。
とてもいい天気。気温は30℃くらいで、少し暑いがこれくらいならまったく大丈夫。わたしは「暑い暑いとうるさい」とよく笑われるのだが、近年暑すぎるのだよ。
TSUTAYA で長いこと真剣にマンガを選んでいるわたしはバカみたい(借りるのです)。いまのマンガ、全然わからない。
車で走るのが気持ちいい。
「闇金ウシジマくん」第3巻まで読む。
- 作者:真鍋 昌平
- 発売日: 2004/07/30
- メディア: コミック
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日没前、散歩。
一昨日よりも大きく咲いている。
夕飯はゴーヤチャンプルーに、注文して届いた中華点心×2。
「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」第3話まで観る。
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大きな強度をもったフィクション総体(それは仮想的なものとしてとりあえず措定される)の世界がとてつもなく広がり、現実世界がその縮減として再構成されつつある。再構成された現実世界はフィクション総体より次元数が低く、フィクション総体はもちろん有限であるがゆえに、現実世界への無限の侵入は阻止される。もちろんフィクション世界が現実世界と混同されるというようなことはまずない。なぜなら、そこではフィクション世界こそがより高次の世界であり、より強いリアリティをもっているから。現実世界においてフィクション世界よりもリアルなのは、死しかないということが現実になろうとしている。
物語。
結局、わたしは子育てのリアルを体験していない。わたしの把握に限界があるとすれば、そこかなと思う。いずれにせよ、これからの世代は子育てを回避する傾向が出てくるだろう、それはまちがいない。それが相転移を起こすまでに至らなければ、大した問題は起きないかも知れない。当たり前か。