堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』

晴。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十七番 op.31-2 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。いわゆる「テンペスト」。
 
空海のあれは、「死に死に死に死んで生の終わりに冥し」だったか。よく覚えていない。全然ちがうかも知れない。井筒先生が空海を書かれる前に突然お亡くなりになったのは洵に残念だな。空海の仏教、つまり真言宗だが、不思議なところがあって、どうもよくわからないところがある。井筒先生の読解を読みたかった。空海以降、真言宗にクリエイティブな後継者が出なかったのも謎だ。とかこういうことを書いたりすると、また中二病者だと思われるのだろうけれど。どうでもいいのだが。

検索してみたら、「生」ではなく「死の終わりに冥し」だった。「死の終わり」かあ。これもちょっと謎だなあ。どういう意味だろう。

このところは淡々と AOJ を解いております。が、誰も興味ないと思うので書きません。何ゆえにプログラミングはおもしろいのかは考察中ですが、なかなかの難問のように思います。最近自己肯定感があまりないので、Ruby で二人しか解けていなかった問題が解けたりすると多少はうれしいです。プログラミングの力がついていくのは HP とか MP が増えるみたいで確かにそういう楽しさはあると思いますが、それだけでもないですね。僕はゲームをやるよりプログラミングの方がおもしろいと思うのだが。また、プログラミングのスキルもなしに現代を語ってしまう哲学者の類は何者かと思ってしまうこともないではないですが、まあ別にいいか、そんなこと。でも、 C と PythonHaskell くらいやって(Go と RubyOCaml でもよいぞ。C++ とか Java とか Scala とかはお仕事の人に任せとけ。なに、C# や Swift だと、そんなのはミーハーじゃ。JavaScript? そは禁句だ!)エラソーなこといえよとはちょっと思う。僕は Ruby だけれど(笑)。Ruby 好きすぎる。
 

夕方、図書館。今日は自分の多少苦手な人の本も借りてきた。もう帰宅ラッシュの時間。

図書館から借りてきた、堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』読了。なかなかよい本だった。著者は堀田善衛の息女であるが、職業的な文筆家なのであろうか。わたしは何も知らないが、おそらくはちがうような気がする。文章に「プロ臭」がないように思えるから。わたしは職業的文筆家の独特の体臭があまり好きではないので、本書はその意味でもなかなか好ましかった。さて、当の堀田善衛であるが、わたしはこれまであまり読んでいない。ただ、ロングセラー『インドで考えたこと』は読んだし、本書を読んでいて、ああ『19階日本横丁』という小説は読んだなと思い当たった。企業などの外国在住者たちがいろいろ登場して、「外国にいる日本人」の生態を描くというような小説だと覚えているが、定かではない。さても堀田氏が晩年に定家やゴヤモンテーニュを題材にした大作をいくつもものしていることは知っているが、あまり興味はないし、たぶん読まない気がする。とりわけ若い頃はわたしは(いまから思えば)じつにクソ生意気な学生で、堀田善衛ごときはまるで眼中になかった。もちろんいまでは、さすがに己をわきまえるようになったけれども。本書で娘から見られている堀田善衛は、じつにマジメな作家(文士といった方がよいか?)で、孜々として学び続けた立派な人であった。根底には、人間に対する最終的な信頼があったようである。何か、我々の既に失ったマジメさ、誠実をもっていたように見える。意外と、いまの若い人たちに親和性があるのではないか? 全集も生前に二度も出ていて、ああ、大したものだなと思わざるを得ない。昔はこういう人がたくさんいて、地の塩であったのだ。

ただの文士――父,堀田善衞のこと

ただの文士――父,堀田善衞のこと

 

橋本治の『小林秀雄の恵み』を読み始めたが、これはとてつもない本だ。読んで(わたしが)感動して泣いたり爆笑したり、いそがしい本であるが、とにかく橋本治がここまで四苦八苦している本は初めて読んだ。とりあえず小林秀雄のことは措いておく。橋本治はあまりにも圧倒的なヴィルトゥオーゾであるためにこれまで真剣に格闘する対象がなかったほどだが、ここでは橋本治は彼のすべてのパフォーマンスを駆使して必死に戦っている。その成果は大変なもので、故・谷沢永一氏なら「小林秀雄橋本治ほど宣長が読めていない」と大喜びしそうなほどだ。しかし、谷沢氏などはどうでもよい。橋本治は『本居宣長』を読んでたいへんに感動するわけで、それが小林秀雄のわけのわからない文章に頭がおかしくなりそうなくらい悩みつつであるから事態は深刻(?)なのだ。とにかく本書はむずかしい。多分本書がわかるのは自分だけであろう、というのはもちろん冗談だが、自分は吉本さんが、これは自分にしかわからないぞと思ったときはそれが最上の読書だといったことを踏まえているのである。自分の小林秀雄体験もまた言語化できない、わけのわからぬものであったが、この時代に同じような体験を、橋本治を通してできるとはまったく予想外だった。何者かに深く感謝したい。