『ゴヤの手紙(下)』

晴。
夢。古びた高いビルの外壁面がすべて本棚になっていて、すべてびっしりと本で埋め尽くされている。古い本たちだ。本棚はグラグラと不安定で、わたしはバランスを取りながらある棚の前にごろりと横になっている。ほとんど空中に。――この夢はとてもよくわかる。まさに現在のわたしそのものだ。わたしはいま更新の季節で、なかなかにつらく、そしてそんなわたしに人は興味がない。事実がそうであるかはわからないが、孤独感を覚えている。それもまた修行なのだろうが。うまく更新されても、数箇月、あるいは年単位でかかるかも知れない。はっきりしたことは何もいえない。
早起き。
 
昼からイオンモールへ。Right-onジーンズを買う。
空調の涼しい中でだいぶ散歩(?)しました。駐車場は42℃だった。おお、灼熱の大地よ。積乱雲よ。

ウチの畑のオミナエシ
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ひさしぶりに Ruby で遊ぶ。AtCoder - ABC212

夜。
岩波文庫版『ゴヤの手紙(下)』読了。なかなかおもしろかった。ゴヤの実物をわたしは見たことがあるのだろうか。日本にどれくらいゴヤがあるものか。わたしのゴヤは、もっぱら画集によるものであるが、それなりには見ているものと思う。本書でゴヤを身近に感じるようになったので、堀田善衛氏の大作『ゴヤ』が図書館にあれば、読んでみようかな。それから、開高健がところどころでゴヤに言及していたのを思い出す。

県図書館に堀田善衛全集があることが判明。借りてみるか。

開高健アウシュヴィッツを訪れてから、気が滅入っているときにプラド美術館へ行ってゴヤを見たのだと記憶していたが、エッセイ集『白いページ』で確認してみると、アウシュヴィッツ後まずパリのゴヤ大回顧展で見、それで興味をもってプラド美術館を訪れたのだとわかった。さらに、いわゆる「聾の家」(開高は「つんぼの家」と書いている)へも行っている。ゴヤについては『白いページ』で二回に亙って書いており、よほど気に入ったようだ。開高はクラシック音楽については(書かれたものを読む限り)ほとんど素養がなかったようだが、絵については無手勝流ではあるけれどもそれなりによく見ているようだ。(まあ、わたしなんかがエラソーにいうのも何だが。)日本画について書かれた文章は、まったく思い出せないのだが、たぶんあまり見ていなかったのではないか。