木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』

曇。
音楽を聴く。■シューベルトピアノ五重奏曲D667「鱒」(ジェイムズ・レヴァイン、ゲルハルト・ヘルツェル、ヴォルフラム・クリスト、アロイス・ポッシュ)。軽くて上手い演奏。

Piano Quintet D667 / Piano Quartet D96

Piano Quintet D667 / Piano Quartet D96

バルトーク中国の不思議な役人(シャイー、参照)。バルトークの射程もフォローしたいな。とにかくバルトークは必聴。

図書館から借りてきた、木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』読了。本書は題名どおりの本ではない。すなわち、「何もかも小林秀雄に教わった」のではなくて、そうだと思っていたが、じつは色々な人たちに影響を受けたという話である。ただし、一応、やはり小林秀雄も偉い人だったという結論ではあるのけれども。著者が若い頃すごいワルで、若年ながら闇屋で稼いで家族を養っていたのは他著で読んだが、その話がメインである。戦後の混乱期で大変な勉強をして何カ国語もマスターしてしまうところなど、優秀な人はどういう経歴であろうが出てくるものだと、溜息をつかされる。本書を読んでいて気付かされたのは、著者はその出発点で、詩に没頭していることである。芭蕉からはじまり、蕪村を読み、日夏耿之介に出会い、青蘿に耽溺するなど、じつにシブい。和歌も読み、茂吉や古典にも目を通している。ここらあたりは、さすがである。詩歌に対する感性は、その人の文学的能力を示すことが多い(小林秀雄の出発点も、もちろんランボーだった)。それを考えても、詩歌音痴な自分の能力のなさがはっきりするが、まあこれは個人的なことである。それはさておき、木田先生のおもしろいところは、哲学の抽象語に生命を感じる能力が高いことであろう。一見無味乾燥な哲学語が、先生の手にかかって生き生きしてくるのを読むのは楽しい。いい翻訳をされる方でもあった。つい先日お亡くなりになったが、先生の仕事は不朽であろう。ああ、また木田先生の本が読みたくなってきた。
なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書)

なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書)