中央公論特別編集『吉本隆明の世界』 / 『荘子 全現代語訳(下)』

曇。
よく寝た。

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ショパンマズルカ op.50 で、ピアノはラファウ・ブレハッチ。2005年のショパン・コンクール優勝者らしいが、ここで聴くかぎりではいくらでも代わりはいるレヴェルのピアニスト。ショパンマズルカはこんな浅い音楽ではない。


モーツァルトのピアノ協奏曲第二十三番 K.488 で、ピアノはティル・フェルナー、指揮はユベール・スダーン。終楽章がよかった。フェルナーはそれなりに個性のあるピアニストで、どこかあまいソーダ水みたいな感じがする。いつも好きかといわれると、よくわからないが。コメントに「第二楽章サイコー」みたいなことを書いている人がいるが、確かに美しいけれど、どこかムード音楽みたいな演奏ではないだろうか。まあ、そもそも原曲にそういうところがあるわけだが。

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こんな感じ。さらにフッタに HTML を追加。リンクの色とリンク先をブラウザの別タブで開くための設定である。

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  if (ndlist[i].innerText != "続きを読む") {
    ndlist[i].setAttribute("target", "_blank");
    ndlist[i].setAttribute("style", "color: #1dbde1;");
  }
}
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にゃはは。

中央公論特別編集『吉本隆明の世界』読了。以前図書館から借りてきて読んだようである。今回は購入したもの。中沢さんとの二本の長大な対談はすばらしくおもしろかった。中沢新一のフィルターをとおして、誰も見ていなかった吉本さんの側面が見えてきたのは疑いないことだと思う。本書に収録されている吉本論はほとんどが下らないもので、いかに吉本隆明が不当に批判あるいは賞賛されてきたか一目瞭然であるが、特に山口昌男の文章は興味深かった。これはもうひとつの「吉本隆明は滑稽である」なのだが、つまりは吉本が言うあれは誰が既に言っている、これもまた誰かが既に言っている、また、えらい西洋人の言っていることとはちがうという議論であり、まったく山口昌男らしいものだと思った。つまりは、山口もまた圧倒的な「秀才」だったのだ。結局、山口には吉本隆明を理解しようなんぞという気はこれっぽっちもないのである。まあそれならそれでいいのだが。山口にしてみれば、吉本など知識もなければ、自分ほど頭がいいわけでもないという存在であったろう。まあそうなのだろうな。
 本書に収録された吉本さん自身の文章では、小林秀雄が死んだときに書かれたそれが特に興味深かった。というか、小林秀雄の『本居宣長』の冒頭に出てくる、折口信夫と交わした会話が引用されているのだが(「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」)、何度も目にした小林からの引用なのに、ここを読んだ瞬間こみ上げてくるものがあった。たぶん、折口信夫小林秀雄吉本隆明の交差に感動したのだろうが、さてもセンチメンタルな男であるな、自分は。それにしても、吉本さんとの対談のなかで、中沢さんが『最後の親鸞』と共に小林秀雄の『本居宣長』を挙げて、「日本人が二十一世紀に取り組んで、出発点にすべき書物です」と言っているのには驚いた。中沢さんは小林秀雄とは相性が悪い筈だが。思えば、最近でこそ読み返していないけれど、自分の出発点は小林秀雄であった。自分が最初に買った全集は小林秀雄全集であり、あれくらい読み返した本はない。もちろん小林秀雄を読む人はいまは殆どいないのであり、自分がハマったのも田舎者だったからだろう。けれども、もちろん吉本さんも、柄谷行人小林秀雄はよく読んだのだ。すべては茫漠とした夢の中のような気がする。いまや、『観光客の哲学』の時代らしいしね。

中央公論特別編集 吉本隆明の世界

中央公論特別編集 吉本隆明の世界

荘子 全現代語訳(下)』読了。池田知久訳。岩波文庫版の訳文は既に忘れてしまったが、本書の訳はどうなのだろう。何かヘンな感じだ。何だかここで読まれる「荘子」というのは、どうもエセ悟りのバカの典型のように読まれてしまうのだが、まさかそんなことはないだろうと思われるのだけれど。それに、「荘子」の訳語として例えば「主体」なんていう言葉を使っていいものなの? 僕などの浅はかな考えだと、「荘子」なら「主体」などは幻影であると嗤うような気がするのだが。でも、こちらも未熟者の典型なので自信はない。誰かえらい人、教えて下さい。

荘子 全現代語訳(下) (講談社学術文庫)

荘子 全現代語訳(下) (講談社学術文庫)

訳者は東大教授だったようで、すごい自信なのだけれど…。

僕はパヨクで反安倍で岩波大好きな独身引きこもりニートのおっさんではあるが、田中先生はあいかわらず正しい。で、自分も内田樹にはウンザリしている。でも、やっぱりどうしようもない「リベラル」でパヨクなのだな。ちゃんちゃん。しかし、民進党には何のシンパシーもない。民進党が政権を取ることはいまのままでは 100% あり得ないし、仮に政権を取れば経済がいまとは比較にならず悪化することは目に見えている。民進党が「アベノミクス」の基本的な正しさをまったく理解していないからである(「アベノミクス」の失敗は、消費増税くらいのものである)。よく、いまの「好景気」の実感はないから「アベノミクス」はまちがっているという人がたくさんいるが、こういう人は何もわかっておられないのである。「アベノミクス」はバブル景気よもう一度みたいなものではない。実際、余裕のある人たちの生活には、さほどの実感はないものなのである。しかし、株をもっている人なら、かつてよりはだいぶ気が楽になった筈だし、かつては就職できなかった甥っ子たちの世代が、何とか就職できるようになったかも知れない。平然と何の不思議もなく存在しているあなたの会社は、景気が以前のままなら潰れていたのかも知れない。冷えきっていたバイト情報誌の内容が好転したことに、恩恵を被っている人が増えたかも知れない。劣悪な環境で派遣労働するしかなかった人たちが、少し生きやすくなったかも知れない。何よりもはっきりしているのは、経済状況の悪化によって自殺していた人たちの数が、確実に減ったことである。これは紛れもないデータの示すところだ。以上書いたことがまちがっているなら、その根拠と共に教えて頂きたいものである。

それでも、僕は反安倍政権なのだな。投票するところがなくて困る。もはや民進党は解党して、野党を再編するしかないが、それにふさわしい政治家がひとりもいない。小沢一郎にかつての力がなくなったのは、じつに残念だと思うが、仕方がない。旧民主党小沢一郎を潰すことに全力を傾注した政権だった。そもそも、旧民主党を崩壊させたあの気持ち悪い顔の野田元首相が民進党の幹事長をやっているというのは、何の冗談なのだろうか。蓮舫代表も、自分は彼女が党首になったときから神輿にすぎないと思っていたが、やはり何の政治的能力もなかったことが露呈した。最近テレビを見ていて胸がスカッとしたのは、自由党森ゆうこ議員の追求だった。じつにおそろしいドスの利きようで、さすがに小沢一郎の懐刀かと思わされたものである。おっちょこちょい風の山本太郎もなかなかやるし。しかし残念ながら、いまのままではあそこまでしかできない。

もうほとんどどうでもいいと思っていたのだが、またつい書いてしまった。皆んなあまりにも間違っているのでね。とおっさんは夢想する。有害無益な、パヨクの夢。