日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』

晴。


ショパンのバラード第一番 op.23 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ


メシアンの「五つのルシャン」(1948)。


武満徹の「秋」(1973)。

日高敏隆先生を読み出した。まだほんの入り口のところだが、ちょっとしたことを記しておきたい。日高先生によると、人間と動物のちがいのひとつは、死を知っているか知らないかにあるという。そしてこう書かれる。

たとえば母猫が死んで動かなくなったとき、仲のよかった娘猫がそばに寄る。見た目は変わらないから、娘猫はいっしょうけんめい母猫に向かって鳴いたりして、非常に不思議そうな顔をしている。しかし母猫が死んだことはわかっていない。

確かにそうなのであろう。ところで、ウチもしばらく猫を飼っていた。というか、野良猫が住み着いて、ウチの猫として外で飼っていたのである。まだ小さなメス猫だったが、しばらくしてオスの子猫を産んだ。そしてその子猫も、ウチで(外で)母猫と一緒に飼うことになった。仲のよい猫の親子だったと思う。しかし、何年か経って、子猫は癌を発病した。顔面に腫瘍ができて、ひどい顔になった。結局看病しつつ我々は最後まで看取ったのである。そのときのことだが、最後のお別れにと思って、我々は子猫の姿を母猫に見せたのだった。そのときのことだ、死んだ子猫を見て、母猫は威嚇するように、「フーッ!」と怒ったのである。あれは何だったのかと、我々はあとから何度も話題にした。いまでもそれが何だったのかわからない。日高先生の仰るように、母猫は子猫の死がわからなかったのだろうか。とすれば、なぜ怒ったのだろう。いまだに自分には不思議なことに思われる。

日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』読了。

世界を、こんなふうに見てごらん (集英社文庫)

世界を、こんなふうに見てごらん (集英社文庫)