芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行 7』 / 『原典訳 原始仏教(上)』

晴。いい天気だ。

大垣。ミスタードーナツ大垣ショップ。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー320円。Linux 本を読む。

このところツイッターをよく見ているのだけれど、ツイッターってほんとに下らない。勝手に 140 字でもっともらしいことばかり言ってろって感じがする。まったく自分は時代遅れですね。ツイートを見ていて「いいな」と思うのは三中先生とか、nos さんとか、まつもとさんくらい。あとは、ためになるツイートとかネタとかいまの旬の話題とか、じつに下らない。まったくおりこうばかりでキモいわ。←バカ。品性下劣。

まだ Tumblr でエロい画像でも見ている方がマシ。というか Tumblr 好き。ブログがいちばん好き。

芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行 7』読了。

ヨコハマ買い出し紀行 7 (アフタヌーンKC)

ヨコハマ買い出し紀行 7 (アフタヌーンKC)

 
細野晴臣を聴く。
はらいそ

はらいそ

 

 

 
『原典訳 原始仏教(上)』読了。中村元編。凡夫一生修行。まだまだ未熟である。本生経(ジャータカ)で提婆達多の無恩無報が散々語られるが、ちょっと異様である。ここでは提婆達多は誰がどうしてもブッダに対して悪意をもたないことがなく、常に悲惨な最後を遂げて決して救われることがない。そういう話が延々と続く。提婆達多は、ブッダがどれほど慈悲を注いでも悪意を以てしか受け取らない。仏典がかかる話を強調するというのは、つまり仏教では決して救われない人間が必ず存在するということを暗に示している。それは確かに正しいが、果たして仏典がそんなことでいいのだろうかという気がどうもしてならない。もちろん、自分の理解が浅いのであろうが。