種村季弘『ハレスはまた来る 偽書作家列伝』/Wes McKinney『Python によるデータ分析入門』

休日(天皇誕生日)。曇。
音楽を聴く。■バッハ:フランス組曲第二番 BWV813(シフ、参照)。シフはちょっと手癖があるな。■ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第七番 op.30-2 (ズーカーマン、バレンボイム参照)。このシリーズ、どれもレヴェルが高い。これぞベートーヴェンという感じ。■バッハ:ブランデンブルク協奏曲第一番 BWV1046 (カラヤン 1964)。こんなのはバッハでないという意見もあるだろうが…。しかし、最高級のシルクではないか。少なくとも生半可なことで真似できるものでは到底ない。中身がギュウギュウに詰まっていて、聴いていてしんどいくらい。カラヤン=通俗という人がいるが、そういうカラヤンがいることは否定しないけれど、それだけだと思ったら間違えるよ。■C.P.E.バッハソナタ 嬰ヘ短調 H.37 (ダニー・ドライヴァー)。C.P.E.バッハは聴くべきであることを確信する。おもしろい。

Keyboard Sonatas Vol.2

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図書館から借りてきた、種村季弘『ハレスはまた来る 偽書作家列伝』読了。何という楽しい書物。どうして偽書を作るのかという動機は様々だが、やはり金を稼ぐというものがいちばんだろう。おもしろいことに、それをするには学者も顔負けの膨大な学識が必要なことが少なくないのに、その努力はたいていは報われないのである。本書に出てくるのはそんな人物ばかりで、その努力を他の方に向けていたら、そっちで活躍できたのではないかと思われるほどだ。今では忘れ去られているけれど、若くして天才的と言いたいほどの文学的才能をもっていた人物も、本書には出てくる。恐らく、偽書を作るという行為の中に、他には代えがたい喜びのようなものもあるのだろう。それを措いてもしかし、だいたい、歴史そのものが偽書で出来ていると云いたくなるようなものである。簡単な例を挙げれば、武田氏の軍師だったとされる有名な山本勘介が実在した証拠はないし、もっと問題的であるのは、じつに「聖徳太子」が実在したという証拠はないのである。もちろん厩戸皇子は存在したが、「聖徳太子」の存在を証明する筈の文献がことごとく、学問的に疑わしいものばかりなのだ(これについては、以前ここで言及した)。そんな昔の話ではなくとも、将来二十世紀日本の歴史が書かれるとき、戦後の日本とアメリカの関係の真実がそこに書かれる可能性は少ないだろう。今ですら、そこにはよくわかっていないことが多すぎるのだから。
 ちょっと詰まらない例に脱線した。そんなのに比べれば、本書のエピソードたちは愛すべきものばかりではないか。金のためにせよ虚栄心を満たすためにせよ、一個人のやることである。しかし、本書の最後の方に挙げられた「コンスタンティヌス大帝贈与 Dominatio Constantini」になると、スケールが大きくて辟易させられる。これは、ローマのコンスタンティヌス大帝が、全ヨーロッパを教会に贈与したという、とんでもない偽書である。しかしこれはずっと偽書とはされてこなかったし、実際現在はどうなっているのか自分は知らない。これは、多くの人たちの人生、また生命そのものに関わってくるし、事実イングランドアイルランドを併合したのはこの法令が元になっていて、これから多くの人命が無駄に失われたのは周知のことであろう(例えば IRA の存在)。偽書づくりなんていうのは、個人のレヴェルに留めてほしいと願わずにはいられない。図書館から借りてきた、Wes McKinney『Python によるデータ分析入門』にざっと目を通す。ふーむ、やはり必要に迫られないとダメだな。
Pythonによるデータ分析入門 ―NumPy、pandasを使ったデータ処理

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