マクニール『ヴェネツィア』/海老坂武『加藤周一』

晴。
図書館。
ウィリアム・H・マクニール『ヴェネツィア』読了。副題「東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797」。南ヨーロッパ史を、ヴェネツィアを中心に描こうという試みであるが、著者の学問的膂力の大変な強さに、読み進めるのはかなりしんどかった。普通の歴史書の倍くらいの時間が掛かってしまったし、いい加減に読んでいると眠くなってきて、難渋した。一般向けには詳しすぎるかも知れない。東方(ビザンツ帝国オットマン帝国、ギリシア正教ロシア正教)に関する記述も詳しい。

ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797 (講談社学術文庫)

ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797 (講談社学術文庫)

図書館から借りてきた、海老坂武『加藤周一』読了。加藤周一は西欧人であり、それも三流の西欧人である。本書を読んで、そのことがよくわかった。しかし、こう言ったからといって、自分はそのことを咎めているわけではない。三流の西欧人になることだって、容易なことではないのだ。自分には無理である。頭のよい加藤はたくさんの本を読み、多くの芸術に触れた。それだけで何がいけなかろう。充分ではないか。まあ、加藤の本は、今ではあまり読む気になれないのは確かだが。でも、こういう人がいてもいいと思う。俐い人というのは、人のためになるからね。
加藤周一――二十世紀を問う (岩波新書)

加藤周一――二十世紀を問う (岩波新書)


景気がよくなるのは確かにいい。お金が大切だというのも真実だ。景気をよくすれば、分けるパイの量が増えて、貧しい人にも恩恵が及ぶというのも、まあその通りだろう。しかしそこには、貧乏人にも確かに分け前はいくが、金持ちの取り分はもっと(比較にならないくらい)多い、という帰結が隠されていることがある。国民の収入の格差が少ない方がいいというのは、素人の妄言だろうか。アメリカを見ればわかるように、アメリカはずっと好景気を維持しているが、巨大な収入格差のせいで、どこか病んだ国になってはいないだろうか。日本もそうなりつつあるが、それで計量できない大切な何かが、失われてしまうのではないのか。これって妄想?
 日本は累進課税を緩和し、法人税を下げることによって、既に多くの歳入が失われている。そこで消費税を導入するのは、実質的に低所得者への大幅増税である。そしてさらに法人税を減らすという。そうしないと、法人税の安い海外へ、企業が逃げていってしまうのだと。うんざりさせられる話だが、それはともかく、消費増税社会保障に使われるという保証はまったくない、というか、そんなことはありえない。消費増税をどうするかというヒアリングに出ていた人の意見は、増税賛成が圧倒的だったが、あとでインタビューを聴いてみると、自分のところに増税分を割り当ててほしいという話ばかりである。しかし、消費増税は、仮にあるとしても(その可能性は大きいが)お前らのためにあるのではないよ。飽くまでも将来の社会保障のためにあるのだろう。いい加減にしておけ。
 いずれにせよ、消費増税しても、政府はきっとさらに、国債を発行すると思うね。膨大な国の借金云々と言っても、何の意味もないと思う。