西川長夫『増補 国境の越え方』

曇。
うどん「恵那」にて昼食。ざる蕎麦820円。

西川長夫『増補 国境の越え方』読了。上野千鶴子の本経由で読んだ。本書の解説も上野である。強靭極まりない書物で、大変に勉強になったが、読む前と比べてさらに、ナショナリズム国民国家というのものをどう考えるべきか、わからなくなってしまった。それらはじつに厄介な問題だと、改めて痛感させられた。本書の記述で、「文明」はフランスの発明で、「文化」は、遅れてきた国民国家であるドイツの対抗概念だというのは、上野の言うとおり目の醒めるような「発見」である。しかしその上で、「日本文化」だとか「多文化主義」だとか言われても、どう捉えるべきか迷う。個人的なことを云えば、自分にとって「日本文化」とは何か。難問だが、自分に一番切実なのは「日本語」であろう。もちろん「国語」というのは、決定的に「国民国家」の産物である。その上で、「日本語を愛する」とは何か。それもまた、一種の「権力」の発動であろう。ちなみに、こうした観点は、本書ではあまり採られていない。
 本書には色々なことが書かれており、サイードの『オリエンタリズム』の読解なども面白かった。しかし、「東洋人」として『オリエンタリズム』を読むというのも、これまた厄介だというのは、以前読んだ時には思い至らなかった。本書でも言うとおり、『オリエンタリズム』には明確な解がないのである。ゆえに、我々の存在もまた、両義的にならざるを得ない。何とも居心地の悪い状態だが、「経済のグローバル化」(これは、言語の「英語化」と深く関わっている)が叫ばれる現在、これは無視できない問題である。困った。

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)