C・ダグラス・ラミス『増補 憲法は、政府に対する命令である。』/河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』

晴。涼しい。
C・ダグラス・ラミス『増補 憲法は、政府に対する命令である。』読了。自民党憲法改正案の分析がおもしろい。現在の日本国憲法は語り手が「日本国民」だが、改正案では「国」「日本国」になっているというのだ。さもありなん。こうしたところに、自民党の政治家たちの本音が出ている。その他、改正案は人権を条件付きのものにするだとかは、仰る通り。

増補 憲法は、政府に対する命令である (平凡社ライブラリー)

増補 憲法は、政府に対する命令である (平凡社ライブラリー)

河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』読了。非常にいい本だ。太平洋戦争における日米の軍隊を、メンタリティの面から記述・分析した本、などと云えようか。「玉砕」の軍隊とはもちろん日本軍のことであり、「生還」の軍隊とはアメリカ軍のことであるが、単純に前者が悪で後者が善というような本ではない。確かにアメリカ軍の兵士が感じたとおり、生き延びる可能性は殆どないのに、「バンザイ突撃」をして死んでいく日本軍の兵士のメンタリティは、非常に不可解なものである。しかし、それは日本軍の兵士が投降することを死を以て禁じられていたせいが大きいし、一縷の可能性に賭けるという、一種の「合理性」すらあったのだ。本書が圧巻なのは、ガダルカナルの攻防戦を戦った両軍の兵士に詳しい聞き取り調査を行っていることで、これを読むと、実際の戦闘の場面では、日本軍の「非合理性」が大きかったとは、簡単には言えないようだ。実際、アメリカ軍の兵士たちは、人種的偏見を持っていてもその後意見を変えて、日本軍の兵士は手強かったと認めている。このような言葉に反応するだけ、自分も愛国者であるのだなあとも思った。戦争は真平ごめんであるが。本書を読んでも、戦争はするものではないことがひしひしと身に沁みる。
 追記しておくと、ガダルカナルの攻防戦は、もちろん日本軍が負けたわけだが、アメリカ軍の認めるとおり、その差は際どいものだった。形勢があと少し日本に傾いていたら、同じ結果になったかはわからない。ただし、アメリカ軍の死者は全体の3%弱、1600名なのに対し、日本軍の死者・行方不明者の総数は24000人で、これは全軍の三分の二に当たる。如何に日本軍が考えられないほどの無理をしたか、如何に両者の戦争観がちがうかが、これでわかる。また、日本軍が太平洋戦争で見せた愚かさは、「負け戦」であったことも少なからず原因になっている。日露戦争の日本軍は、世界の手本とまで云われたくらいであった。アメリカ軍も、ベトナム戦争では酷い姿を晒してしまっている。
久しぶりにソトコトの憂国呆談のサイトを見てみたが、浅田彰の顔がひどくなっていて驚いた。言っていることもインパクトがない。田中康夫はともかく、浅田彰はどうしてしまったのか?

つくづく思うが、自分がブログに書いているのは、本当にただの「素人判断」に過ぎないのだ。ただ、世の中の人々は、政治・社会・経済問題その他云々に対し、殆どの人が「素人」なわけである。「素人」は間違いも多くしでかすだろうが、その「素人判断」の精度はやはり高めていかねばならないだろう。そのために、我々は何ができるだろうか? それにむずかしいのは、「専門家」が必ずしも正しくないかも知れないということだ。意見が分かれない「専門家」たちって、いないでしょう?

音楽を聴く。■ヘンデル組曲第九番、第十二番、第十四番、第十六番(リヒテル)。