古田亮『高橋由一』

晴。
古田亮『高橋由一』読了。日本最初の洋画家といわれる*1高橋由一の評伝である。由一が生まれたのは江戸時代、一九二八年で、武士の家に生まれ育った。武道で身を立てる筈だったが、体質的に合わず、子供の頃から得意だった画業を学ぶことを許されたという。もちろん洋画などない時代であり、絵(日本画)を学ぶこと自体、遅かった。本格的に洋画を学ぶのは四十歳近くになってからというのは、驚かされる。画風を確立してからも、フェノロサ岡倉天心日本画を称揚したため、ある程度著名ではあったが経済的にも困窮し、洋画を発展させようという試みも、打ち砕かれたのだった。歴史的にいうと、日本での洋画の確立は黒田清輝によるものとされ、由一のことは長らく忘れられていたらしい。
 これらのことは、写実ではあるが、それに留まらない由一の絵の魅力からすると、意外なことである。もっとも由一自身は、洋画の記録媒体としての写実性を利点としたものであり、そこを強調したので、彼は「絵の魅力」というものを、いったいどう考えていたのであろうか。なお、由一の再評価は、土方定一の企画した昭和四十六年の回顧展によるものだという。

高橋由一 (中公新書)

高橋由一 (中公新書)


敢て云う。若い奴らに媚びるな。許すな。期待するな。彼ら彼女らには、それだけの価値はない。そして、己の畑を耕せ。自らの貧しさに徹底的に向き合え。後の世代が汲むところがあるとすれば、我々のその廃墟からしかない。

*1:追記。これは厳密には正しくない。例えば司馬江漢などがいるので。しかし、本格的な洋画を描いた画家は、やはり由一が最初と云えるだろう。なお、由一ほど有名ではなくても、同時代に洋画を志した者はかなり存在する。